MENU

お知らせ

News

室生犀星「碓氷山上之月」⑮切子灯籠

2026.10.29

【室生犀星「碓氷山上之月」⑮切子灯籠】

 二三日上らなかつた正面の噴水が
けふから又上つた。

刈つた芝が美しい。

百合はみんな
凋(しお)れて了(しま)つた。

ばらばらと通り雨があつたあとに、
全く秋の半ばのやうな凉風が吹いた。

 夕方から碓氷峠の上へ
月を見に行かうといふことになり、
松村さんとお孃さん、
旅館の主人、
澄江堂(ちょうこうどう)と予とが
自動車に乘つた。

峠へは登り道ばかりで、
松村さんは少し蒼い顏をして、
 「恐(こは)うございますね。」
と言つた。

 お孃さんは十七であるのに、
お母さんにしつかり抱きついてゐた。

自動車はげつくりと
はずみを食ひながら、
樹の間から見える月の山峡を
登つて行つた。

屛風に描き分けた
峡(はざま)の道を
指呼(しこ)の間(かん)に
上るやうな気がした。

 碓氷村は峠の頂に
黒ずんだ屋根をならべ、
その低い庇に四隅に紙房のある
古風な切子燈籠を
軒ごとに吊してあつた。

けふは月遲れの
うら盆の日である。

 「あの燈籠はいいなあ。――」

 自動車から下り立つた澄江堂は、
仄(ほの)暗い明りに
やつと見分けられる家の中を
覗き込みながら言つた。

十二三の女の子がらんぷの下で
何かの本を讀んでゐるのが、
うす暗いので同じ家内でも
ずつと遠くのやうに見えた。

 「頼んだら吳(く)れないかね。」

 燈籠の骨と紙とが
四辺(あたり)の荒い風色と
関係があるやうにも思はれた。

暗さになれると
その燈籠を吊した庇の下に、
何かの葉の硬い
石菖(せきしょう)のやうな草が
磊落(らいらく)たる石の間に
蓬蓬(ほうほう)と茂つてゐた。

 熊野權現へ參詣した。

 松村さんもお孃さんも
權親さまの石段の下で羽織を着た。

(室生犀星「碓氷山上之月」より)

⸻

画像は
「碓氷山上之月」すなわち
碓氷峠見晴台からの月と、
モルゲンロートの浅間山です。

ところで犀星は、
芥川龍之介、片山廣子母娘と共に
つるや旅館主人の運転する車で
碓氷峠に向かいます。

この日記のタイトルになった、
「碓氷山上之月」を見るためです。

深い谷の道を上る情景描写が、
秀逸ですね。

しかし月よりも
やはり人間観察の方に
筆が進むようで、
怖がりである
片山廣子の娘の様子や
切子灯籠を欲しがる
まるで子供のような
芥川龍之介の言動を書いています。

芥川は犀星にとって、
格好のネタになっていました。

しかしそのおかげで
1927年7月に亡くなる
3年前まで、
芥川はこんなに無邪気だったのだと
いうことが分かります。

芥川にとって、
人生最良の日々だったと
言えるのかもしれません。

撮影日20261029
投稿日20261029

Pickup Site

ピックアップ