【室生犀星「碓氷山上之月」⑬犀星落語】
朝、散步してゐると
美しい西洋人の姉妹が
別莊道から下りて來た。
二人とも楽譜を持つてゐる。
ひとりは藍色で
妹は純白な服を着てゐる。
姉の肩つきは
富士山によく似てゐた。
えりくびは乳のやうに白かつた。
この旅館の応接間は
客がみんな食前とか食後には、
よく出て来て椅子に坐つた。
三年つづけて挨拶をしてゐたが、
その五十がらみの人の好い顏の客が
医学博士であることや、
白足袋でゴードを喫(の)むのが
歯科の先生であることや、
毛糸のジヤケツを著てゐるのが
千葉の地主であることや、
三人のお孃さまをつれてきてゐるのが
田端の地主であること、
また每年のやうに演説会の事務を
取りにくるのが
レヴエヂヤトフに似てゐることや、
朝から賑やかに
若い妻君と出步いてゐるのが
神奈川の金持ちであることや、
その他の人人がみんな
応接間へ坐つては休んでゐた。
予は誰にも
馴染みになれなかつた。
歯科の先生は軽井沢の金棒引きで、
土地と別莊をもつてゐた。
そして談たまたま
輕井澤のことに及ぶと、
昂然として言つた。
「輕井澤には
もう土地なんてありませんよ。」
夕方、澄江堂(ちょうこうどう)と
散步しに出て射的をした。
かれは二つパツトを落した。
予も同樣二つ落した。
予は生れて鉄砲を手にもつたことが
初めてであつた。
「このつぎは五つの内
四つまで落す自信はあるがなあ。――」
この前さう言つた
澄江子(ちょうこうし)は、
たつた二つしか落せなかつた。
(十一日、八十度)
⸻
画像は、
追分から望む浅間山です。
ところでこの日は、
犀星の人間観察と
芥川へのツッコミで終わります。
まずは、
美しい西洋人の姉妹。
富士山のような肩つきというのは、
日本人ではなかなか見かけない
極端な「なで肩」のことでしょう。
教会で、
オルガンを弾くのかもしれません。
続いては、
つるや旅館の常連客たち。
ここに書かれている
ゴードやレヴエヂヤトフ、
という言葉の意味は不明です。
ゴードは葉巻のゴールドを
指すのかもしれませんが。
しかし
「予は誰にも馴染みになれなかつた」
とあります。
作家というのは
どことなく浮世離れしている
側面のある人が多いので、
実業の世界にいる人たちとは
話が合わないのでしょう。
金棒引きとは、
「情報通の有力者」
のようなニュアンスのことです。
そんな
ちょっと不全感が残る
観察記録の後は、
芥川をネタにした
クスリと笑わせる話で締める。
犀星にとっては
毎夏の軽井沢滞在ですが
この年に限って
日記を書こうと思ったのは、
芥川龍之介という
「犀星落語」の好材料が
あったからだと思います。
ちなみに華氏八十度は、
摂氏約26.7℃です。









