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室生犀星「碓氷山上之月」⑩雷鳴

2026.10.24

【室生犀星「碓氷山上之月」⑩雷鳴】
        
 雨になつて雷嗚がした。

次第に烈しくなる。

……いままで靜まり返つてゐた
澄江子(ちょうこうどう)は
何か叫びながら、
玄關さきの応接間へ飛んで行つた。

予は折柄(おりから)、
あんまをとつてゐたが、
療治(りょうじ)はもう
終りかかつてゐたけれど、
澄江堂が馳け出してから
少し怕(こわ)くなつた。

それにまだ肩先きにあんまが
薄暗く取りついてゐる。――

 「大丈夫か、あんまさん。」

 「ぴりぴりと來る奴は
あぶなうござんすが、
まだごろごろくらゐでは
大したことはありません。」

 「だんだん烈しくなる。……」

 「しまひにぴしつと來ます。
そいつは恐いが……」

 雷鳴が次第に近くなつた。
雨は底ぢゆうに溜つた。
池の水があふれた。

 「もう止すよ、君!」

 予はあんまを止めてもらつた。
そして、
「君はこの部屋にゐても大丈夫かね。」
とさう尋ねた。

 「なあに雷くらゐは――」

 予は応接間へ行くために
庭の雨の中を走つた。

応接間には松村さん、
そのお孃さんが、
もう避難してゐた。

澄江堂も神妙に椅子によりながら、
酷いかみなりだなあと言つて、
氣がついたやうに、
 「君、あんまはどうした。」

 「置いて來た。」

 予は椽側に泰然と坐つてゐた
先刻のあんまさんの姿を、
勇勇しく思ひ返した。

 「置いて來たは驚いた。……」

 松村さんもびつくりしたやうな
顏をした。

 「かあいさうに――」
さう言つて、
女中にあんまさんをつれて来て
おあげなさいと言ひつけられた。

 「あんまは大丈夫だと
言つてゐましたよ。」

 「でもね、
こんなに降つてゐるんですもの。」

 お孃さんもさういふ。
が、かみなりはやまなかつた。

稻光りがするごとに
松村さんのお孃さんが、
 「おかあさま、大丈夫?――。」
 怕さうにさう言つた。

 晚、松村さん、お孃さん、
大學へ行つてる坊ちやん、
澄江堂の四人で散步をした。

大學ヘ行つてゐて
坊ちやんはをかしいと
予は松村さんに言つた。

松村さんと予との間に
風月論が出た。

澄江堂は松村さんに
議論を吹きかけた。

松村さんは穩やかな人である。

(八日、八十度)

(室生犀星「碓氷山上之月」より)

⸻

画像は、
つるや旅館にほど近い
ニ手(にて)橋です。

ところで
雷鳴に驚き
叫びながら逃げ出す芥川と、
あんまさんを置いてきたまま
離れから逃げてきた犀星。

それをたしなめる
片山廣子は、
2人の子供に呆れる
冷静な母親のように見えます。

そして夕刻の散策。

議論を吹きかける芥川に対し、
あくまでも穏やかに
対応する片山。

その適切な受け答えに、
芥川は完全に
ノックアウトされたのでは
ないかと想像します。

ちなみに華氏八十度は、
摂氏約26.7℃です。

撮影日20260709
投稿日20261024

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