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堀辰雄「物語の女」⑭別れ

2026.09.16

【堀辰雄「物語の女」⑭別れ】

暫くの間、
私たちはその村はずれの分かれ道に、
自分たちが無言でいることも
忘れたように、
うつけた様子で立ちつくしていた。

そのとき村の真ん中から
正午を知らせる鈍い鐘の音が
出し抜けに聞えてきた。

それがそんな沈黙を
やっと私たちにも気づかせた。

森さんはときどき気になるように
向うの白く乾いた村道を見ていられた。

迎えの自動車が
もう来る筈だったのだ。

――やがてそれらしい自動車が
猛烈な埃(ほこり)を上げながら
飛んで来るのが見え出した。

その埃りを避けようとして、
私たちは道ばたの草の中へはいった。

が、誰ひとりその自動車を
呼び止めようともしないで、
そのまま草の中に
ぼんやりと突立っていた。

それはほんの僅かな時間
だったのだろうけれど、
私には長いことのように思えた。

その間私は
何か切ないような夢を見ながら、
それから醒さめたいのだが、
いつまでもそれが続いていて
醒められないような
気さえしていた。……

 自動車は、
ずっと向うまで行き過ぎてから、
やっと私たちに気がついて
引っ返して来た。

その車の中に
よろめくようにお乗りになってから、
森さんは私たちの方へ
帽子にちょっと手をかけて
会釈されたきりだった。

……その車が又埃りを上げながら
立ち去った後も、
私たちは二人ともパラソルで
その埃りを避けながら、
何時までも黙って
草の中に立っていた。

 去年と同じ村はずれでの、
去年と殆ど同じような分かれ、
――それだのに、
まあ何んと去年のそのときとは
何もかもが
変ってしまっているのだろう。

何が私たちの上に起り、
そして過ぎ去ったのであろう?

(堀辰雄「物語の女」より)

画像は、
日没の中山道追分宿です。

ところで「物語の女」は
「菜穂子」の冒頭
「楡の家」に収録されており
森於菟彦は芥川龍之介が、
三村夫人は片山廣子が
モデルとされています。

この場面は
三村夫人と娘の菜穂子が、
作家の森於菟彦と
別れを交わすシーン。

これが今生で
眼差しを交わす、
最後の瞬間となるのです。

互いに
言いたいことの半分も言えないまま、
彼らはそれぞれの道を歩みゆく。

愛別離苦の、
忘れ難い場面です。

撮影日20260531
投稿日20260916

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