【堀辰雄「物語の女」⑨切ない恋】
二月の末、
森さんがその年になってからの
初めてのお手紙を下さった。
私の差し上げた年賀状にも
返事の書けなかったお詫(わ)びやら、
暮からずっと神経衰弱で
お悩みになっていられることなど
書き添えられ、
それに何か雑誌の切り抜き
のようなものを同封されていた。
何気なくそれを披(ひら)いてみると、
それは或る年上の女に与えられた
一聯(いちれん)の
恋愛詩のようなものであった。
何んだってこんなものを
私のところに
お送りになったのかしらと
いぶかりながら、
ふと最後の一節、
――「いかで惜しむべきほどの
わが身かは。
ただ憂ふ、君が名の……」
という句を何んの事やら分らずに
口ずさんでいるうち、
これはひょっとすると
私に宛てられたものかも
知れないと思い出した。
そう思うと、
私は最初何んとも云えず
ばつの悪いような気がした。
――それから今度は、
それが若(も)し本当にそうなのなら、
こんなことを
お書きになったりしては困ると云う、
ごく世間並みの感情が
私を支配し出した。
……たとえ、
そういうお気持がおありだったにせよ、
そのままそっとしておいたら、
誰も知らず、
私も知らず、
そして恐らくあの方自身も
知らぬ間にそれは忘れ去られ、
葬られてしまうにちがいない。
何故そんな移ろい易いような
お気持を、
こんな婉曲(えんきょく)な方法にせよ、私にお打ち明けになったのだろう?
いままでのように、
向うもこちらも
そういう気持を意識せずに
おつきあいしているのならいいが、
いったん意識し合った上では、
もうこれからは
お逢いすることさえ出来ない。……
そうして私はあの方のそんな
一人よがりをお責めしたい気もちで
一ぱいになっていた。
しかし、
そういうあの方を私はどうしても
憎むような気もちにはなれなかった。
そこに私の弱みが
あったように思われる。
……が、私はその数篇の詩が
私に宛てられたものであることを
知り得るのは、
恐らく私一人ぐらいなもので
あろうことに気がつくと、
何かほっとしながら、
その紙片を破らずに
自分の机の抽出(ひきだ)しの
ずっと奥の方に
蔵(しま)ってしまった。
そうして私は何んともないような
風をしていた。
(堀辰雄「物語の女」より)
ー
画像は、
追分宿郷土館のホトトギス。
「秘めた意志」、
などの花言葉があります。
ところで「物語の女」は
「菜穂子」の冒頭
「楡の家」に収録されており
森於菟彦は芥川龍之介が、
三村夫人は片山廣子が
モデルとされています。
1926年9月7日O村に書いた
という設定の
日記形式の小説ですが、
かなりの部分が
事実を元にしていると
考えられます。
そして今回引用した
森於菟彦からの手紙は
1926年2月に三村夫人に
送られてきたことになるのですが、
よく似た文言が芥川龍之介の遺稿である
「或阿呆の一生」に見られるのです。
抜粋します。
ー
三十七 越し人
彼は彼と才力の上にも
格闘出来る女に遭遇した。
が、「越し人」等の抒情詩を作り、
僅(わづ)かにこの危機を脱出した。
それは何か木の幹に凍つた、
かがやかしい雪を落すやうに
切ない心もちのするものだつた。
風に舞ひたるすげ笠の
何かは道に落ちざらん
わが名はいかで惜しむべき
惜しむは君が名のみとよ。
(芥川龍之介「或阿呆の一生」より)
ー
あなたの名誉を
傷つけないために、
舞い上がる気持ちを抑え
この恋から身を引きます
というような意味の
切ない詩です。
平安時代の歌謡である
「梁塵秘抄」(りょうじんひしょう)
さながらのこの詩を、
芥川龍之介は片山廣子に
死の約1年半前に
送っていたのかもしれません。










