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堀辰雄「物語の女」⑧芥川龍之介の「点鬼簿」

2026.09.10

【堀辰雄「物語の女」⑧芥川龍之介の「点鬼簿」】

 その冬になってから、
私は或る雑誌に森さんの
「半生」という小説を読んだ。

これがあのO村で
暗示を得たと仰しゃっていた
作品なのであろう思われた。

御自分の半生を
小説的にお書きなさろうと
したものらしかったが、
それにはまだずっと
お小さい時のことしか
出て来なかった。

そういう一部分だけでも、
あの方がどういうものを
お書きになろうとしているのか
見当のつかない事もなかった。

が、この作品の調子には、
これまであの方の作品に
ついぞ見たことのないような
不思議に
憂鬱(ゆううつ)なものがあった。

しかしその見知らないものは、
ずっと前からあの方の作品のうちに
深く潜在していたものであって、
唯、われわれの前に
あの方の佯(いつ)われていた
brilliant な調子のため
すっかり掩(おお)いかくされていたに
過ぎないように思われるものだった。

――こういう生(なま)な調子で
お書きになるのは
あの方としては大へん
お苦しいだろうとはお察しするが、
どうか完成なさるようにと
心からお祈りしていた。

が、その「半生」は
最初の部分が発表されたきりで、
とうとうそのまま
投げ出されたようだった。

それは何か私には
あの方の前途の多難なことを
予感させるようでならなかった。

(堀辰雄「物語の女」より)

画像は佐久平夕焼けです。

ところで「物語の女」は
「菜穂子」の冒頭
「楡の家」に収録されており
森於菟彦は芥川龍之介が、
三村夫人は片山廣子が
モデルとされています。

となると
三村夫人が1925年の冬に読んだ
森於菟彦の「半生」とは、
芥川龍之介の
「点鬼簿(てんきぼ)」を
モデルとしているのかもしれません。

「僕の母は狂人だった。
僕は一度も僕の母に
母らしい親しみを感じたことはない」
で始まる「点鬼簿」は、
幼時期などを回想する短編。

▼精神病で死んだ実母
▼母の発病により養子に出され
幼少時に別れた実父、
▼夭逝した姉
について語ったもので、
1926年(大正15年)9月に
発表されました。

芥川は「点鬼簿」のラストで、
以下のように書いています。

 僕は墓参りを好んではいない。
若(も)し忘れていられるとすれば、
僕の両親や姉のことも
忘れていたいと思っている。

が、特にその日だけは
肉体的に弱っていたせいか、
春先の午後の日の光の中に
黒ずんだ石塔を眺めながら、
一体彼等三人の中では
誰が幸福だったろうと考えたりした。

かげろふや塚より外に住むばかり

 僕は実際この時ほど、
こう云う丈艸(じょうそう)の心もちが
押し迫って来るのを
感じたことはなかった。

(芥川龍之介「点鬼簿」より)

芥川が引用した
内藤 丈草(ないとう じょうそう)は、
松尾芭蕉の門人で
蕉門十哲の一人。

句の意味は
成虫となってから
数時間〜数日で寿命を終える
はかないカゲロウの生死は
墓の外にいるか
墓の中にいるかの
違いでしかないーー
というようなものです。

恐らくこのとき既に、
芥川は死を意識していたのでは
ないかと思われます。

片山廣子は歌人でもあったので、
芥川龍之介のこの文を読み
胸を突かれたのでは
ないでしょうか。

そしてそのことを、
後に堀辰雄に話したのだと
筆者は想像します。

撮影日20260612
登校日20260910

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