【堀辰雄「物語の女」④稲妻】
……それまでちょっと
エンジンの音を止めていた自動車が、
不意に野獣のようにあばれ出した。
木の枝の折れる音が
続けざまに私たちの耳にもはいった。
「だいぶ木の枝を折ったようですな……」
「うちのだか何処のだか
分らないんですから、
ようございますわ」
稲妻がときどき
枝を折られたそれらの灌木を
照らしていた。
それからまだしばらく
雷鳴がしていたが、
やっとのことで向うの雑木林の上方が
うっすらと明るくなりだした。
私たちは何んだか
ほっとしたような気持がした。
そうしてだんだん草の葉が
日にひかり出すのを
まぶしそうに見ていると、
又しても、屋根板に
ぱらぱらと大きな音がした。
私たちは思わず顔を見合わせた。
が、それは楡の木の葉の
しずくする音だった……
「雨が上ったようですから、
少しそこいらを歩いて
御覧になりません?」
そう云って私はあの方と
向い合った椅子からそっと離れた。
そうしてお隣りへ
お前を迎えにやって置いて、
一足先きに、
村のなかを御案内していることにした。
村は丁度
養蚕の始まっている最中だった。
家並は皆で三十軒足らずで、
その上大抵の家は
いまにも崩壊しそうで、
中にはもう半ば
傾き出しているのさえあった。
そんな廃屋に近いものを
取り囲みながら、
ただ豆畑や唐黍畑(とうきびばたけ)
だけは猛烈に繁茂していた。
それは私たちの気もちに
妙にこたえて来るような眺めだった。
途中で、
桑の葉を重たそうに背負ってくる、
汚れた顔をした若い娘たちと
幾人もすれちがいながら、
私たちはとうとう村はずれの
岐(わか)れ道まで来た。
(堀辰雄「物語の女」より)
ー
画像は、
中山道追分宿にある
泉洞寺の入口です。
ところで「物語の女」は
「菜穂子」の冒頭
「楡の家」に収録されており
森於菟彦は芥川龍之介が、
三村夫人は片山廣子が
モデルとされています。
そんな
互いに惹かれ合っている2人心境、
並びにその後の運命を
暗示するかのような
稲妻のシーン。
映画監督ならここは、
登場人物の表情と共に
丹念に作り上げる部分でしょう。
端正な森於菟彦の横顔が
稲妻で照らされ、
2人の視線が絡み合うーー
そんな場面を想像します。
それにしても
この当時の追分の民家が
「今にも崩壊しそう」で
「廃屋に近いもの」と
書かれていたのには、
思わず苦笑させられました。
そんな鄙びた田舎の村だからこそ、
芥川龍之介や堀辰雄は
愛したのでしょうが。












