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堀辰雄「物語の女」①大洪水

2026.09.03

【堀辰雄「物語の女」①大洪水】

一九二六年九月七日、O村にて

 菜穂子、
 私はこの日記を
お前にいつか読んで貰うために
書いておこうと思う。

・・・中略・・・

生前、お前のお父様は
大抵夏になると、
私と子供たちを上総の海岸にやって、
御自分はお勤めの都合で
うちに居残っていらっしゃった。

そうして、
一週間ぐらい休暇をおとりになると、
山がお好きだったので、
一人で信濃の方へ出かけられた。

しかし山登りなどを
なさるのではなく、
ただ山の麓をドライヴなどなさるのが、
お好きなのであった。

……私はまだその頃は、
いつも行きつけているせいか、
海の方が好きだったのだけれど、
お前のお父様の亡くなられた年の夏、
急に山が恋しくなりだした。

子供たちは少し
退屈するかも知れないが、
何んだかそんなさびしい山の中で、
一夏ぐらい誰とも逢わずに
暮らしたかったのだ。

私はその時ふとお父様が
よく浅間山の麓の
Oという村のことを
お褒めになっていたことを
憶(おも)い出した。

何んでも昔は有名な
宿場だったのだそうだけれど、
鉄道が出来てから急に衰微し出し、
今ではやっと二三十軒位しか
人家がないと云う、そんなO村に、
私は不思議に心を惹かれた。

何しろお父様が
初めてその村においでになったのは
随分昔のことらしく、
それでお父様はよく
同じ浅間山の麓にある
外人の宣教師たちが部落している
K村にお出かけに
なっていたようであるが、
或る年の夏、
丁度お父様の御滞在中に、
山つなみが起って、
K村一帯がすっかり浸水してしまった。

その折、
お父様はK村に避暑していた
外人の宣教師やなんかと共に、
其処から二里ばかり離れた
O村まで避難なさったのだった。

……その折、
昔の繁昌(はんじょう)にひきかえ、
今はすっかり寂れ、
それがいかにも落着いた、
いい感じになっている
この小さな村にしばらく滞在し、
そしてこの村からは
遠近の山の眺望が
実によいことをお知りになると、
それから急に
お病みつきになられたのだ。

そうしてその翌年からは、
殆んど毎夏のように
O村にお出かけに
なっていたようだった。

それから二三年するかしないうちに、
そこにもぽつぽつ
別荘のようなものが
建ち出したという話だった。

あの山つなみの折、
そこに避難された方のうちにでも
お父様と同じように
すっかり好きになった者が
あるのだろうと笑いながら
仰しゃっていた。

(堀辰雄「物語の女」より)

ようやく堀辰雄に、
戻ってきました。

画像は
中山道追分宿の分去(わかさ)れに
安永三年(1774)11月
建立されたという
馬頭観音立像です。

ところで
「物語の女」は、
1934年(昭和9年)の10月に
発表されました。

「高原にて」と同月、
また堀辰雄が矢野綾子さんと婚約した
翌月ということです。

その後「物語の女」は、
「楡(にれ)の家」の
第一部として
「菜穂子」に収録されました。

引用したのは「物語の女」の冒頭と、
「三村夫人」が
亡き夫が好きだった追分に
自分が別荘を購入した経緯を
説明する部分です。

当時の追分の雰囲気が、
伝わってきます。

ところで三村夫人は、
アイルランド文学翻訳家の
片山廣子がモデルと
されています。

実際の片山廣子の別荘は
旧軽井沢のつるや旅館の
北西140mほどの場所にありましたが、
この小説では三村夫人は
追分に住んでいたことに
なっています。

ちなみに三村夫人が語る洪水は、
関東一円の平野部を
泥の海にした
「明治43年8月大水害」
だと思われます。

梅雨前線の停滞と
2つの台風の接近によるもので、
8月9〜11日に利根川、
荒川、隅田川などが次々に決壊。

埼玉県では
平野部の全てが浸水したとされ、
関東地方を中心に
死者679人、
浸水家屋は50万棟を
超えたそうです。

そのとき軽井沢も
矢ヶ崎川が氾濫して
洪水となりましたが、
多くの人が
追分に避難していたとは
知りませんでした。

1878年(明治11年)生まれの
片山廣子は、
1899年に結婚。

大蔵省から日銀理事となった
夫・片山貞治郎は
1920年(大正9年)に
50歳で亡くなっていますから、
1910年(明治43年)の大洪水を
軽井沢で体験したのかもしれません。

◾️小泉正人さまのコメント

母の実家は江戸時代の旧軽の旅籠から
信越線開通後は雑貨屋に
変わったのですが・・
叔母の随筆の中に
「江戸時代は表の通りから裏の道まで
建物が連なった旅館であったというが、
長姉の生まれた明治43年の大水に
建物を半分から切り離して難を逃れた
という」と記述が有りました。

難を逃れた家も昭和15年の大火
(隣家への放火が原因)で
先祖代々の遺品(武田信玄の賞状など)は
全て失ってしまったと、
もう一人の伯母・柚木史子(ペンネーム)
の「わたしの軽井沢」
という短中編集に書いてありました。

撮影日20260709
投稿日20260903

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