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堀辰雄「芥川龍之介論」自殺の原因

2026.09.02

【堀辰雄「芥川龍之介論」自殺の原因】

「芥川龍之介論」
――藝術家としての彼を論ず――

 芥川龍之介を論ずるのは
僕にとつて困難であります。
それは彼が僕の中に深く
根を下ろしてゐるからであります。

彼を冷靜に見るためには
僕自身をも冷靜に
見なければなりません。

自分自身を冷靜に見ること――
それは他のいかなるものを
冷靜に見ることよりも
困難であります。

しかし、それと同時に、
あらゆる文學上の批評の価値は、
いかにその批評家が自分自身を
冷靜に見ることが出來たか、
と云ふ度合によつて
測られるのであります。

批評と云ふものが、
他人の作品を通しての
自分自身の表現であります以上は。

…略…

かかる自分の弱みを
見せまいとする剛情さ――
それは彼の性格を一生支配してゐた。
僕はそこに彼の性格の
最初の悲劇を見出す。

 このやうにして、彼の魂は、
かかる孤獨と暗鬱な風景の中に
次第々々に生長して行つたのである。

…略…

彼は鋭い理性と共に
柔かい心臟の持ち主だつた。

彼の鋭い理性は、
彼の中に投げ込まれた
その冷たい石を愛した。

そして彼の柔かい心臟は、
そのために、隱された。

人々は彼に鋭い理性と共に
冷たい心臟を見出して、
それを信じた。

しかし彼は、
次第に彼の理性の衰へると共に、
その調和を失ひ出した。

その以後の彼が
悲劇的になつたのは当然である。

…略…

我々はこれらの病的な
感覺の渦を通して、
絶えず彼をつけ狙つてゐる
「何か知らないもの」を
見究はめねばならぬ。

さうしてその「何か知らないもの」が
いかに彼を高めるために
彼を落したかを見なければならぬ。

人間に課せられた不幸と
運命の不正のための怒りから
その「何か知らないもの」に
敢然と挑戰するとき、
いかに彼が地獄の苦痛の中に
追ひやられるかを
見なければならない。

そして遂に、自分の意識した罪、
意識しない罪のために、
自分を地獄にあるものと信じて、
苦痛に焚かれながら、
「神よ、我を罰したまへ。
怒り給ふこと勿れ。
恐らくは我れ滅びん」
と叫んでゐるところの彼を
見なければならぬ。

…略…

しかし僕はこの稿は、
藝術家としての彼を
論ずるに止めなければならない。

今の僕には、
人としての彼を嚴密に書く事は
不可能だからである。

(例へば、
彼の自殺の原因の探究にしても、
それを藝術家としての、
精神生活者としての
それのみに止めた、
何故なら今その原因らを
彼の私的な生活にまで
立入つて求める事は
僕にとり不可能――と言ふより、
したくないからである。

(堀辰雄「芥川龍之介論」より)

ーー

画像は
堀辰雄が芥川龍之介と訪れた
中山道碓氷峠にある、
熊野皇大(くまのこうたい)神社です。

ところで引用したのは
1929年(昭和4年)3月、
東京帝国大学文学部国文科の
学生だった堀辰雄の卒業論文
「芥川龍之介論」からの抜粋です。

昨日初めて読んだのですが、
筆者が堀の作品から感じていたことが
的外れではなかった
と思わせられる記述が
随所にありました。

堀辰雄も
「河童」、「歯車」、「西方の人」などを
詳しく取り上げ、
自殺(1927年7月)の原因について
考察しています。

しかしあくまでも
「芸術家」としての側面
だけについて書いた、
と断っています。

本当のことは、
とても論文には
書けないからでしょう。

そのため、
小説の中で匂わせるにとどめた
のだと思います。

ちなみに
もう1人の師である室生犀星は、
堀辰雄のことを
こう書いています。

多くを喋らない人の徳を持った堀は、
少し喋ると、
その少しが肝じんの事がらに
役立つことが多かった。

…略…

彼はいつも半分しか
物を言わないでいて、
あとの半分は対手に察して貰う
行き方であった。

彼の小説にもその描法が
行き亙っているところでは、
文章がことさらに光を返していた。

(室生犀星「我が愛する詩人の伝記」より)

堀の作品は、
行間を読まねばならない
ということです。

撮影日20260831
投稿日20260902

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