【芥川龍之介「侏儒の言葉」種子】
わたしは二三の友だちには
たとい真実を言わないにもせよ、
嘘をついたことは一度もなかった。
彼等も亦嘘をつかなかったから。
人生
革命に革命を重ねたとしても、
我我人間の生活は
「選ばれたる少数」を除きさえすれば、
いつも暗澹(あんたん)としている
筈(はず)である。
しかも「選ばれたる少数」とは
「阿呆と悪党と」の異名に過ぎない。
民衆
シェクスピイアも、ゲエテも、
李太白(りたいはく)も、
近松門左衛門も滅びるであろう。
しかし芸術は民衆の中に
必ず種子を残している。
わたしは大正十二年に
「たとい玉は砕けても、
瓦かわらは砕けない」
と云うことを書いた。
この確信は今日(こんにち)でも
未だに少しも揺がずにいる。
又
打ち下ろす
ハンマアのリズムを聞け。
あのリズムの存する限り、
芸術は永遠に滅びないであろう。
(昭和改元の第一日)
又
わたしは勿論失敗だった。
が、わたしを造り出したものは
必ず又誰かを作り出すであろう。
一本の木の枯れることは
極めて区々たる問題に過ぎない。
無数の種子を宿している、
大きい地面が存在する限りは。
(同上)
或夜の感想
眠りは死よりも愉快である。
少くとも容易には違いあるまい。
(昭和改元の第二日)
(芥川龍之介「侏儒の言葉(遺稿)」より)
ー
画像は
カトリック軽井沢聖パウロ教会です。
(許可を得て撮影・投稿しています)
ところで引用したのは
「侏儒の言葉」の最終章、
遺稿となった部分です。
これを読むと芥川は、
様々な本当のことーー
すなわち
「帝国主義批判により
当局から狙われる身となった」
ことを親友にさえ
話していなかったようです。
親友たちを、
危険に晒さないためでしょう。
そして
「一本の木の枯れることは
極めて区々たる問題に過ぎない」
というのは、
自らの死を覚悟した言葉でしょう。
「無数の種子を宿している、
大きい地面が存在する限りは。」
と続けているのは、
自分の志を受け継ぐ者たちが
今後数多(あまた)現れるだろう
ということを言っているのだと
思います。
恐らく聖書の中の
この言葉を念頭に置いて、
書いたのではないでしょうか。
ー
「はっきり言っておく。
一粒の麦は、
地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが、死ねば、
多くの実を結ぶ。」
(ヨハネによる福音書 12:24 )
ー
そしてその意図を理解し
自らの作品の中に
芥川の真実を
織り込んでいったのが、
弟子の堀辰雄でした。











