【芥川龍之介「続西方の人」信仰】
22 貧しい人たちに
クリストのジヤアナリズムは
貧しい人たちや奴隷を
慰めることになつた。
それは勿論天国などに
行かうと思はない貴族や金持ちに
都合の善かつた為もあるであらう。
しかし彼の天才は
彼等を動かさずには
ゐなかつたのである。
いや、彼等ばかりではない。
我々も彼のジヤアナリズムの中に
何か美しいものを見出してゐる。
何度叩いても
開かれない門のあることは
我々も亦知らないわけではない。
狭い門からはひることも
やはり我々には必しも
幸福ではないことを示してゐる。
しかし彼のジヤアナリズムは
いつも無花果のやうに
甘みを持つてゐる。
彼は実にイスラエルの民の生んだ、
古今に珍らしい
ジヤアナリストだつた。
同時に又我々人間の生んだ、
古今に珍らしい天才だつた。
「予言者」は彼以後には
流行してゐない。
しかし彼の一生は
いつも我々を動かすであらう。
彼は十字架にかかる為に、
――ジヤアナリズム至上主義を
推(お)し立てる為に
あらゆるものを犠牲にした。
ゲエテは婉曲(ゑんきよく)に
クリストに対する
彼の軽蔑を示してゐる。
丁度後代のクリストたちの多少は
ゲエテを嫉妬してゐるやうに。
――我々は
エマヲの旅びとたちのやうに
我々の心を燃え上らせる
クリストを求めずには
ゐられないのであらう。
(昭和二年七月二十三日、遺稿)
(芥川龍之介「続西方の人」)
ー
画像は、
軽井沢ユニオン・チャーチです。
ところで「続西方の人」は、
自殺前夜の1927年(昭和2年)
7月23日に脱稿したものです。
引用したのは、
その最終章。
それによると芥川は、
キリストを「ジャーナリスト」と
思っていたようです。
「それを言えば
大祭司やパリサイ人、
多くの律法学者らから憎まれて処刑される」
ということを知りながら、
正しいことを話し続けた
からでしょう。
「帝国主義批判」の作品を書いたことで
当局から狙われる身となった
自分自身と、
キリストを重ねて考えていたことが
行間から読み取れます。
また後世や同時代の人々への
影響力の大きさから、
キリストを
「天才」とも言っています。
つまり芥川は
あくまでも
「歴史上の人物」として、
キリストをとらえているということです。
芥川は
「或阿呆の一生」のラストで
「神を信ずることは――
神の愛を信ずることは
到底彼には出来なかつた。
あのコクトオさへ信じた神を!」
と絶叫していますが、
彼はキリストを
人として評価はしても
神として信じることは
出来なかったようです。
キリストの様々な奇跡も含め、
知的に理解できること以外は
認められなかったのかもしれません。
この点について筆者は、
プラトンを連想します。
プラトンは
「真実在(イデア)」を希求する
強い思い(エロス)を持ちながらも、
その認識に近づくには
「思考それ自体によって対象に迫る」
しかないと考えていました。
しかし人は
「思惟作用」を超えた
「霊的直感力」によらなければ、
神の世界を知り
現象界の成り立ちを
理解することはできません。
プラトンが
イデアに到達できず
また芥川が「神の愛」を
知ることができなかったのは、
思惟作用に拘泥したせいではないかと
筆者は思います。
「直覚知」を得るには
思惟作用から一旦離れ、
心を無にする必要があるからです。
瞑想や黙想、禅、
神道や聖書の民などに共通する
禊ぎや清めの行為等は、
そのためのものと
言えるのではないでしょうか。











