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芥川龍之介「河童」①扶養家族

2026.08.24

【芥川龍之介「河童」①扶養家族】

トツクは河童仲間の詩人です。

詩人が髪を長くしてゐることは
我々人間と変りません。

僕は時々トツクの家へ
退屈凌(しの)ぎに遊びに行きました。

トツクはいつも狭い部屋に
高山植物の鉢植ゑを並べ、
詩を書いたり煙草をのんだり、
如何にも気楽さうに暮らしてゐました。

その又部屋の隅には
雌の河童が一匹
、(トツクは自由恋愛家ですから、
細君と云ふものは持たないのです。)
編み物か何かをしてゐました。

トツクは僕の顔を見ると、
いつも微笑してかう言ふのです。
(尤も河童の微笑するのは
余り好いものではありません。
少くとも僕は最初のうちは
寧ろ無気味に感じたものです。)

「やあ、よく来たね。
まあ、その椅子にかけ給へ。」

 トツクはよく河童の生活だの
河童の芸術だのの話をしました。

トツクの信ずる所によれば、
当り前の河童の生活位、
莫迦げてゐるものはありません。

親子夫婦兄弟などと云ふのは
悉(ことごと)く
互に苦しめ合ふことを
唯一の楽しみにして
暮らしてゐるのです。

殊に家族制度と云ふものは
莫迦げてゐる以上にも
莫迦げてゐるのです。

トツクは或時窓の外を指さし、
「見給へ。あの莫迦げさ加減を!」
と吐き出すやうに言ひました。

窓の外の往来には
まだ年の若い河童が一匹、
両親らしい河童を始め、
七八匹の雌雄の河童を
頸のまはりへぶら下げながら、
息も絶え絶えに歩いてゐました。

しかし僕は年の若い河童の
犠牲的精神に感心しましたから、
反つてその健気さを褒め立てました。

(芥川龍之介「河童」より)

画像は、
軽井沢町の白糸の滝です。

引用したのは
1927年(昭和2年)3月、
すなわち亡くなる約4ヶ月前に
芥川龍之介が書いた
「河童」です。

遺稿の「歯車」で
「僕はこの小説の世界を
超自然の動物に満たしてゐた。
のみならずその動物の一匹に
僕自身の肖像画を描いてゐた」
と書いているように、
詩人のトックは
芥川自身を投影していると
考えられています。

また
「年の若い河童が一匹、
両親らしい河童を始め、
七八匹の雌雄の河童を
頸のまはりへぶら下げながら、
息も絶え絶えに歩いてゐました」
という件(くだり)も、
養父母や伯母、三人の子供
並びに書生として同居した
甥の葛巻 義敏(くずまき よしとし)
を養っていた状況を彷彿とさせます。

ちなみに
1927年1月に
姉の再婚相手が自殺したあとは、
義兄の借金や
姉と4人の子の生活も
芥川が面倒を見なければ
ならなくなります。

総勢12人。

その心理的負担を、
芥川は河童に託して
書いたということでしょう。

撮影日20260802

投稿日20260824

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