【芥川龍之介「歯車」⑪標的】
海は低い砂山の向うに
一面に灰色に曇つてゐた。
その又砂山には
ブランコのないブランコ台が
一つ突つ立つてゐた。
僕はこのブランコ台を眺め、
忽(たちま)ち絞首台を思ひ出した。
実際又ブランコ台の上には
鴉(からす)が二三羽とまつてゐた。
鴉は皆僕を見ても、
飛び立つ気色(けしき)さへ
示さなかつた。
のみならずまん中にとまつてゐた鴉は
大きい嘴(くちばし)を
空へ挙げながら、
確かに四たび声を出した。
僕は芝の枯れた砂土手に沿ひ、
別荘の多い小みちを曲ることにした。
この小みちの右側には
やはり高い松の中に
二階のある木造の西洋家屋が
一軒白じらと立つてゐる筈だつた。
(僕の親友はこの家のことを
「春のゐる家」と称してゐた。)
が、この家の前へ通りかかると、
そこにはコンクリイトの土台の上に
バス・タツブが一つあるだけだつた。
火事――僕はすぐにかう考へ、
そちらを見ないやうに歩いて行つた。
すると自転車に乗つた男が
一人まつすぐに向うから
近づき出した。
彼は焦茶(こげちや)いろの
鳥打ち帽をかぶり、
妙にぢつと目を据ゑたまま、
ハンドルの上へ身をかがめてゐた。
僕はふと彼の顔に姉の夫の顔を感じ、
彼の目の前へ来ないうちに
横の小みちへはひることにした。
しかしこの小みちのまん中にも
腐つたもぐらもちの死骸が
一つ腹を上にして転がつてゐた。
何ものかの僕を狙つてゐることは
一足毎に僕を不安にし出した。
そこへ半透明な歯車も
一つづつ僕の視野を
遮(さへぎ)り出した。
僕は愈(いよいよ)
最後の時の近づいたことを恐れながら、頸すぢをまつ直(す)ぐにして
歩いて行つた。
歯車は数の殖えるのにつれ、
だんだん急にまはりはじめた。
同時に又右の松林は
ひつそりと枝をかはしたまま、
丁度細かい切子(きりこ)硝子を
透すかして見るやうになりはじめた。
僕は動悸の高まるのを感じ、
何度も道ばたに立ち止まらうとした。
けれども誰かに押されるやうに
立ち止まることさへ
容易ではなかつた。……
三十分ばかりたつた後、
僕は僕の二階に仰向けになり、
ぢつと目をつぶつたまま、
烈しい頭痛をこらへてゐた。
すると僕のまぶたの裏に
銀色の羽根を鱗うろこのやうに畳んだ
翼が一つ見えはじめた。
それは実際網膜の上に
はつきりと映つてゐるものだつた。
僕は目をあいて天井を見上げ、
勿論何も天井には
そんなもののないことを確めた上、
もう一度目をつぶることにした。
しかしやはり銀色の翼はちやんと
暗い中に映つてゐた。
僕はふとこの間乗つた自動車の
ラデイエエタア・キヤツプにも
翼のついてゐたことを思ひ出した。……
そこへ誰か梯子段を
慌(あわ)ただしく昇つて来たかと思ふと、
すぐに又ばたばた駈け下りて行つた。
僕はその誰かの妻だつたことを知り、
驚いて体を起すが早いか、
丁度梯子段の前にある、
薄暗い茶の間へ顔を出した。
すると妻は突つ伏したまま、
息切れをこらへてゐると見え、
絶えず肩を震はしてゐた。
「どうした?」
「いえ、どうもしないのです。……」
妻はやつと顔を擡(もた)げ、
無理に微笑して話しつづけた。
「どうもした訣(わけ)では
ないのですけれどもね、
唯何だかお父さんが
死んでしまひさうな
気がしたものですから。……」
それは僕の一生の中でも
最も恐しい経験だつた。
――僕はもうこの先を
書きつづける力を持つてゐない。
かう云ふ気もちの中に
生きてゐるのは
何とも言はれない苦痛である。
誰か僕の眠つてゐるうちに
そつと絞め殺してくれるものはないか?
(昭和二年、遺稿)
(芥川龍之介「歯車 六 飛行機」より)
ー
画像は
中山道追分宿の泉洞寺にある
六地蔵です。
ところで引用したのは、
「歯車」のラスト。
芥川龍之介の不安と恐怖、
ここに極まれりといった
内容です。
これが単なる小説なら
「全てを不吉の兆とみなす
病的心理の見事な描写」
となるのでしょうが、
遺稿である点がやり切れない。
その不安の根源について、
芥川は以下のように
語っています。
「何ものかの僕を狙つてゐることは
一足毎に僕を不安にし出した」
芥川は自分自身が
狙われていることのについての、
明確な自覚があったということです。
芥川の姉の夫が
詐欺容疑等で
鉄道自殺に追い込まれたのも、
単なる偶然とは思えません。
芥川は
「自分が死なない限り、
当局は自分の身内を
攻撃し続けるのではないか」
と思っていたかもしれません。
そしてそうした師の苦悩を
分かっていたからこそ、
堀辰雄はわざわざ
「歯車」を取り上げるという
風変わりな構成の随筆
「高原にて」を書いたのではないかと
筆者は考えているのです。











