【芥川龍之介「歯車」⑩虚像】
僕は妻の実家へ行き、
庭先の籐椅子に腰をおろした。
庭の隅の金網の中には
白いレグホオン種の鶏が
何羽も静かに歩いてゐた。
それから又僕の足もとには
黒犬も一匹横になつてゐた。
僕は誰にもわからない
疑問を解かうとあせりながら、
兎に角外見だけは冷やかに
妻の母や弟と世間話をした。
・・・中略・・・
「兄さんは僕などよりも
強いのだけれども、――」
無精髭(ぶしやうひげ)を伸ばした
妻の弟も寝床の上に起き直つたまま、
いつもの通り遠慮勝ちに
僕等の話に加はり出した。
「強い中に弱いところもあるから。……」
「おやおや、それは困りましたね。」
僕はかう言つた妻の母を見、
苦笑しない訣(わけ)には
行かなかつた。
すると弟も微笑しながら、
遠い垣の外の松林を眺め、
何かうつとりと話しつづけた。
(この若い病後の弟は
時々僕には肉体を脱した
精神そのもののやうに
見えるのだつた。)
「妙に人間離れをしてゐるかと思へば、
人間的欲望もずゐぶん烈しいし、……」
「善人かと思へば、悪人でもあるしさ。」
「いや、善悪と云ふよりも
何かもつと反対なものが、……」
「ぢや大人の中に子供もあるのだらう。」
「さうでもない。
僕にははつきりと言へないけれど、
……電気の両極に似てゐるのかな。
何しろ反対なものを
一しよに持つてゐる。」
そこへ僕等を驚かしたのは
烈しい飛行機の響きだつた。
僕は思はず空を見上げ、
松の梢に触れないばかりに
舞ひ上つた飛行機を発見した。
それは翼を黄いろに塗つた、
珍らしい単葉の飛行機だつた。
鶏や犬はこの響きに驚き、
それぞれ八方へ逃げまはつた。
殊に犬は吠え立てながら、
尾を捲(ま)いて
縁の下へはひつてしまつた。
「あの飛行機は落ちはしないか?」
「大丈夫。……兄さんは
飛行機病と云ふ病気を知つてゐる?」
僕は巻煙草に火をつけながら、
「いや」と云ふ代りに頭を振つた。
「ああ云ふ飛行機に乗つてゐる人は
高空の空気ばかり
吸つてゐるものだから、
だんだんこの地面の上の空気に
堪へられないやうに
なつてしまふのだつて。……」
妻の母の家を後ろにした後、
僕は枝一つ動かさない
松林の中を歩きながら、
ぢりぢり憂欝になつて行つた。
なぜあの飛行機はほかへ行かずに
僕の頭の上を通つたのであらう?
なぜ又あのホテルは
巻煙草のエエア・シツプばかり
売つてゐたのであらう?
僕はいろいろの疑問に苦しみ、
人気のない道を選(よ)つて
歩いて行つた。
(芥川龍之介「歯車 六 飛行機」より)
ー
画像は、
高原の夏の空です。
ところで「歯車」最終章の
タイトルである
飛行機が、
ようやく登場しました。
ここでも主人公は
「なぜあの飛行機はほかへ行かずに
僕の頭の上を通つたのであらう?」
という
常人ならさして
気にも留めないような問いに
囚われてしまっています。
ただし「歯車」は
自伝的な「小説」なので、
そんな状態である
主人公(芥川本人を投影)を
冷静に見て
書いているわけです。
そのように
不安を客体化できているにも関わらず
そこから逃れられない
自らの状態を、
芥川は「歯車」の中で
何度も「悪魔」という言葉で
表現しています。
そして家族に対しては、
亡くなる直前まで
「強くて冷静な人」を
演じていたのだと
いうことが分かります。
20260621の投稿でも書きましたが、
堀辰雄は
「聖家族」の中で
そんな芥川龍之介をモデルとした
九鬼という人物について
以下のように書いています。
ー
九鬼はこの少年を
非常に好きだつたらしい。
それがこの少年をして
彼の弱点を速かに
理解させたのであらう。
九鬼は自分の気弱さを
世間に見せまいとして
それを独特な皮肉でなければ
現はすまいとした人だつた。
九鬼はそれになかば
成功したと言つていい。
だが、彼自身の心の中に
隠すことが出来れば出来るほど、
その気弱さは彼には
ますます堪へ難いものに
なつて行つた。
扁理はさういふ不幸を
目の前に見てゐた。
(堀辰雄「聖家族」より)
ー
堀辰雄のペンから、
芥川の苦しみが伝わってきます。










