【芥川龍之介「歯車」⑧精神病院】
僕は僕の部屋へ帰ると、
すぐに或精神病院へ
電話をかけるつもりだつた。
が、そこへはひることは
僕には死ぬことに変らなかつた。
僕はさんざんためらつた後、
この恐怖を紛らす為に
「罪と罰」を読みはじめた。
しかし偶然開いた頁(ペエジ)は
「カラマゾフ兄弟」の一節だつた。
僕は本を間違へたのかと思ひ、
本の表紙へ目を落した。
「罪と罰」――本は「罪と罰」に
違ひなかつた。
僕はこの製本屋の綴(と)ぢ違へに、
――その又綴ぢ違へた頁を
開いたことに
運命の指の動いてゐるのを感じ、
やむを得ずそこを読んで行つた。
けれども一頁も読まないうちに
全身が震へるのを感じ出した。
そこは悪魔に苦しめられる
イヴアンを描いた一節だつた。
イヴアンを、
ストリントベルグを、
モオパスサンを、
或はこの部屋にゐる僕自身を。……
かう云ふ僕を救ふものは
唯眠りのあるだけだつた。
しかし催眠剤はいつの間にか
一包みも残らずになくなつてゐた。
僕は到底眠らずに
苦しみつづけるのに堪へなかつた。
が、絶望的な勇気を生じ、
珈琲コオヒイを持つて来て貰つた上、
死にもの狂ひに
ペンを動かすことにした。
二枚、五枚、七枚、十枚、
――原稿は見る見る
出来上つて行つた。
僕はこの小説の世界を
超自然の動物に満たしてゐた。
のみならずその動物の一匹に
僕自身の肖像画を描いてゐた。
けれども疲労は徐(おもむ)ろに
僕の頭を曇らせはじめた。
僕はとうとう机の前を離れ、
ベツドの上へ仰向けになつた。
それから四五十分間は
眠つたらしかつた。
しかし又誰か僕の耳に
かう云ふ言葉を囁いたのを感じ、
忽ち目を醒さまして立ち上つた。
Le diable est mort
凝灰岩の窓の外は
いつか冷えびえと明けかかつてゐた。
僕は丁度戸の前に佇み、
誰もゐない部屋の中を眺めまはした。
すると向うの窓硝子は
斑(まだら)に外気に曇つた上に
小さい風景を現してゐた。
それは黄ばんだ松林の向うに
海のある風景に違ひなかつた。
僕は怯(お)づ怯づ窓の前へ近づき、
この風景を造つてゐるものは
実は庭の枯芝や
池だつたことを発見した。
けれども僕の錯覚は
いつか僕の家に対する
郷愁に近いものを呼び起してゐた。
僕は九時にでもなり次第、
或雑誌社へ電話をかけ、
兎に角金の都合をした上、
僕の家へ帰る決心をした。
机の上に置いた鞄の中へ
本や原稿を押しこみながら。
(芥川龍之介「歯車 五 赤光より)
ー
画像は
中山道塩名田宿近く、
駒形神社から望む浅間山です。
ところで引用した箇所によると、
芥川は
精神病院に入ることを
考えていた
ということが分かります。
海外への高飛びは無理でも
精神病院に逃げ込めば、
自分をつけ狙うものたちから
逃げられるかもしれない。
そう考えたのかも
しれません。
しかしそれは芥川にとっては、
「社会的な死」を意味しました。
作家生命を失う、
ということです。
命を長らえるためには
社会的に死ななければならないーー
それは芥川には、
何よりも苦痛を伴う
ことだったのでしょう。
結局その方法を、
選ぶことはできませんでした。
一方、
芥川は
「僕はこの小説の世界を
超自然の動物に満たしてゐた。
のみならずその動物の一匹に
僕自身の肖像画を描いてゐた」
と書いています。
これは
1927年(昭和2年)3月、
すなわち亡くなる
4ヶ月ほど前に発表された
「河童」を指していると思われます。
「河童」は
精神病患者の第二十三号の語り
という設定の小説で、
ここには自殺した
詩人のトックという河童も
出てきます。
芥川は
様々なことを、
頭の中でシミュレーションしていた
ということが分かる内容です。
「河童」については、
後日触れることにします。
ー
ちなみに引用文の中のフランス語は、
直訳すると
「悪魔は死んだ」となります。
この声は
夢や幻聴の類かもしれませんが、
結果的に芥川を
家に帰らせることになります。
それは芥川が
自殺を思いとどまる
最後のチャンス
だったかもしれません。











