【芥川龍之介「歯車」③尾行】
僕はやつとその横町を見つけ、
ぬかるみの多い道を曲つて行つた。
するといつか道を間違へ、
青山斎場の前へ出てしまつた。
それは彼是(かれこれ)
十年前にあつた
夏目先生の告別式以来、
一度も僕は門の前さへ
通つたことのない建物だつた。
十年前の僕も
幸福ではなかつた。
しかし少くとも平和だつた。
僕は砂利を敷いた門の中を眺め、
「漱石(そうせき)山房」の
芭蕉を思ひ出しながら、
何か僕の一生も
一段落のついたことを
感じない訣(わけ)には
行かなかつた。
のみならずこの墓地の前へ
十年目に僕をつれて来た
何ものかを感じない訣にも
行かなかつた。
或精神病院の門を出た後、
僕は又自動車に乗り、
前のホテルへ帰ることにした。
が、このホテルの玄関へおりると、
レエン・コオトを着た男が
一人何か給仕と喧嘩をしてゐた。
給仕と?
――いや、それは給仕ではない、
緑いろの服を着た
自動車掛りだつた。
僕はこのホテルへはひることに
何か不吉な心もちを感じ、
さつさともとの道を引き返して行つた。
僕の銀座通りへ出た時には
彼是かれこれ日の暮も近づいてゐた。
僕は両側に並んだ店や
目まぐるしい人通りに
一層憂欝にならずにはゐられなかつた。
殊に往来の人々の罪
などと云ふものを知らないやうに
軽快に歩いてゐるのは不快だつた。
僕は薄明るい外光に
電燈の光のまじつた中を
どこまでも北へ歩いて行つた。
そのうちに僕の目を
捉(とら)へたのは
雑誌などを積み上げた本屋だつた。
僕はこの本屋の店へはひり、
ぼんやりと何段かの書棚を見上げた。
それから
「希臘(ギリシヤ)神話」と云ふ
一冊の本へ目を通すことにした。
黄いろい表紙をした「希臘神話」は
子供の為に書かれたものらしかつた。
けれども偶然僕の読んだ一行は
忽(たちま)ち僕を打ちのめした。
「一番偉いツオイスの神でも
復讐(ふくしう)の神には
かなひません。……」
僕はこの本屋の店を後ろに
人ごみの中を歩いて行つた。
いつか曲り出した僕の背中に
絶えず僕をつけ狙(ねら)つてゐる
復讐の神を感じながら。……
(芥川龍之介「歯車 ニ 復讐」より)
ー
画像は、
霧ヶ峰から望む浅間山です。
今回引用した
第二章のラストには、
主人公が誰かからの
悪意ある監視を
意識していたことを示す
一文があります。
自伝的小説なので、
芥川龍之介は
「行動の全てが見張られている」
と思っていたのではないでしょうか。
また「或精神病院の門を出た後」
と記しているので、
精神病院に通院していたのでしょう。
睡眠薬を、
もらうためかもしれません。
しかしこの行動も
「自分は精神病院に通う
心を病んだ人間だ。
危険な煽動者にはなり得ない」
ということを
尾行する人物に
伝える目的も
あったのではないか
という気がします。
実際に尾行が
ついたかどうかはともかく、
芥川にはそういう恐れが
あったのかもしれません。
そして堀辰雄は、
師のその苦しみを
知っていたのではないかと
筆者は思います。










