【堀辰雄「高原にて」①氷室】
昨日の夕方、
輕井澤から中山道を
自動車で沓掛(くつかけ)、
古宿(ふるじゆく)、
借宿(かりやど)、
それから追分(おひわけ)と、
私の滞在してゐる村まで
帰つてきたが、
その古宿と借宿との間には
高原のまん中にぽつんぽつんと
半ばこはれかかつた氷室が
いくつも立つてゐて、
丁度いまそのあたり一面に
蕎麦の白い花が咲きみだれてゐて、
何とも云へず綺麗だつた。
この地方特有らしい、
その氷室の建物が
大へん芥川さんのお氣に入り、
かういふ高原に
ああいふ恰好の別莊を立てたい
などと云つてゐられたので、
私はいつとはなしに
その前を通る度に
それを一種の愛著をもつて
眺めるやうになつてゐたのである。
芥川さんが輕井澤にいらしつたのは
確か大正十三年と大正十四年で、
十三年の夏は
私は金澤の室生さんのところに
長く滯在した歸りに
ちよつとに寄つたきりだつたが、
翌年には私もずつと滯在し、
毎日のやうにお会ひしてゐた。
その十四年の夏も
なんだか雨が多くて、
ちやうど今年のやうな
不順な陽氣であつた。
それでも私はよく
芥川さんのお伴をして
峠や近所の古駅などを見てまはつた。
ことにいま私のゐる追分宿などが、
すつかり寂れ切つたなりに、
昔の面影をそつくりそのまま
殘してゐるので
一番お氣に入られてゐたやうであつた。
輕井澤のやうな
ハイカラなところも一方では
お好きらしかつたが……
(堀辰雄「高原にて」より)
ー
画像は、
朝の信濃追分駅です。
引用したのは、
1934年(昭和9年)の
10月に発表された随筆。
この年の夏から秋にかけて、
堀辰雄は追分宿の
油屋旅館に滞在していました。
ちなみに9月には、
矢野綾子さんと婚約しています。
そんな中、
芥川龍之介との思い出を
つづったのです。
芥川と毎日のように
会っていたという
1925年(大正14年)の夏の時点で、
堀辰雄は
東京帝国大学学生の20歳。
芥川龍之介は33歳でした。
しかし一面の
蕎麦畑に感動するのは分かりますが、
氷室のような別荘が欲しいとは
芥川龍之介もかなりの
物好きですね。
地面に三角屋根だけが
乗っているような
氷室が好きというのは、
竪穴式住居への
郷愁なのかもしれないと
考えてしまいます。











