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堀辰雄「美しい村」⑲「夏」木漏れ日

2026.08.01

【堀辰雄「美しい村」⑲「夏」木漏れ日】

私の新しい部屋は、
別館の二階の奥まったところで、
南向きの窓があり、
そしてその窓からは
数本の大きな桜の幹ごしに
向うの小高い水車の道に面している
いくつかのヴィラの裏側が
ちらちらと見えていた。

そしてその窓のすぐ下を、
私がそれらの少女たちと
初めて出会ったところの、
例の抜け道が、
小さな坂になりながら、
灌木かんぼくのなかに
細々と通っているのだった。
……私は私のやりかけている仕事から
気持をそらすまいとして、
私とたった二人きりで
その別館の中に暮らしだしている
その未知の少女とは、
わざと背中を
向き合わせてばかりいた。

その癖、
私は私の窓のすぐ下を通っている
その坂道を、
毎朝、一定の時刻に、
絵具箱をぶらさげながら、
その少女が水車の道の方へと
昇ってゆくのを
見逃したことはなかった。

丁度、
午前中のその時刻の光線の具合で、
木漏(こも)れ日がまるで
地肌を豹(ひょう)の皮のように
美しくしている、
その小さな坂を、
ややもすると滑りそうな足つきで
昇ってゆくその背の高い、
痩せぎすな後姿を見送りながら、
その上の水車の道に出て、
さて、それから彼女は
どの小径をどう通って、
どんな場所へ
絵を描きに行くのだろうかと、
そこいらの林のなかの小径が
実にややこしく、
私自身も初めてこの村へ来た当時は、
何度も道に
迷ってしまった位ではあったし、
それにまたそんなことからして
一人の少女と私との
奇妙な近づきが始まったりしたので、
私は、
絵を描く場所を捜しながら
そんな見知らぬ小径を
さまよっているらしい彼女のことを、
何となく気づかわしく思っていた。

(堀辰雄「美しい村」より)

画像は、
離山登山道です。

ところで引用したのは、
堀辰雄「美しい村」の
第3部「夏」。

堀辰雄が
矢野綾子さんのことを意識し始める、
「恋愛前」の微妙な心の動きが
書かれています。

こういうところの表現が、
堀辰雄はうまいと思いますね。

撮影日20250513
投稿日20260801

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