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堀辰雄「美しい村」⑮「美しい村」寂滅

2026.07.28

【堀辰雄「美しい村」⑮「美しい村」寂滅】

だんだんに日が暮くれだした。

私のすぐ足許(あしもと)の、
いつかその赤い屋根に
交尾こうびしている小鳥たちを
見出したヴィラは、
もう人が住まっているらしく、
窓がすっかり開け放たれて、
橙色だいだいいろのカアテンの
揺ゆらいでいるのが見えた。

ときおり御用聞きが
その家のところまで
自転車を重そうに押し上げて
くるらしい音が
私のところまで聞えて来た。

もうそろそろ私もこれまでのように
この空家の庭でぼんやりして
いられそうもないなと思った。

そんな気がしだすと、
何んだかもうこれがその
最後の時ででもあるかのように、
私は、私のすべての注意を、
半分はこの荒廃したヴィラそのものに、
半分はこの高みから見下ろせる
一帯の美しい村、その森、
その花咲さける野、その別荘、
それからもう霞ながら
よく見えなくなり出した
丘々おかおかの襞(ひだ)、
それだけがまだ黒々と残っている
「巨人の椅子」などに
傾(かたむ)け出していた。

それにも拘(かか)わらず、
私はときどきややもすると
それ等(ら)のものことごとくを
見失い、
そしてまるっきり放心状態に
なっている自分自身に気がついて、
思わずどきっとするのだった。

 突然とつぜん、
ちょうど私の頭上にある、
その周囲だけもうすっかり
薄暗くなっている大きな樅(もみ)の、
ほとんど水平に伸びた枝の一つに、
ばたばたとびっくりするような
羽音をさせながら、
一羽の山鳩が飛んできて止まった。

そうしてそんなところに
私のいることに向うでも
愕(おどろ)いたように、
再びすぐその枝から、
薄暗いために一層大きく見えながら、
それは飛び去って行った。

あたかも私自身の
思惟(イデエ)そのもので
あるかのごとく
重々しく羽搏(はばた)きながら、
そしてその翼つばさを
無気味に青く光らせながら……。

(堀辰雄「美しい村」より)

画像は
旧中山道 碓氷峠の
見晴台から望む離山です。
(左奥は蓼科山)

ところで堀辰雄は
「美しい村」第2部の
「美しい村」のラストで、
完全に自然の中に溶け込み
周囲と一体化するような
不思議な時を経験しています。

それ故
人の気配がほとんど無く、
山鳩が近くの枝に
止まりに来たのでしょう。

堀辰雄が
「孤独」の中でこそ体験し得た
寂滅の境地が、
静かに語られています。

撮影日20260425
投稿日20260728

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