【堀辰雄「美しい村」⑬「美しい村」香り】
私が小さな美しい流れに沿うて
歩き出すと、
その径(みち)にずっと
笹縁(ささべり)をつけている
野苺(のいちご)にも、
ちょっと人目につかないような花が
一ぱい咲いていて、
それが或る素晴らしいものの
ほんの小さな
前奏曲(プレリュウド)だと
言ったように、
私を迎えた。
私は例の木橋の上まで来かかると、
どういう積(つも)りか
自分でも分からずに
二三度その上を
行ったり来たりした。
それから、漸(や)っと、
まるで足が
地上につかないような歩調で、
サナトリウムの裏手の
生墻(いけがき)に沿うて行った。
私は最初のいくつかの
野薔薇の茂(しげみ)を
一種の困惑の中にうっかりと
見過してしまったことに気がついた。
それに気がついた時は、
既すでに私は彼等の発散している、
そして雨上りの
湿しめった空気のために
一ところに漂いながら
散らばらないでいる
異常な香りの中に
包まれてしまっていた。
私は彼等の白い小さな花を
見るよりも先に、
彼等の発散する香りの方を
最初に知ってしまったのだ。
しかし私は立ち止ろうとはせずに
なおも歩き続けながら、
私は今すれちがいつつある
一つの野薔薇の上に
私のおずおずした
最初の視線を投げた。
私は、私の胸のあたりから
何かを訴えでもしたいような
眼つきで私をじっと見上げている、
その小さな茂みの上に、
最初二つ三つばかりの
白い小さな花を認めたきりだった。
が、その次の瞬間には、
私はその同じ茂みのうちに
殆ど二三十ばかりの花と、
それと殆ど同数の
半ば開きかかった莟(つぼみ)とを
数えることが出来た。
それはごく僅(わず)かの間だったが、
そんな風に私が自分の視線のなかに
自分自身を集中させてしまってから
と言うもの、
そんなにも簇(むら)がっている
それ等の花が
もう先刻(さっき)のように
好い匂(におい)が
しなくなってしまっていることに
私は愕(おどろ)いた。
そうして改めてそれを
嗅かごうとすると、
そうするだけ一層
それは匂わなくなって
行くように見えた。
――私は注意深く歩き続けながら、
順ぐりにいくつかの野薔薇の木と
すれちがって行ったが、
とうとう私はいつか
レエノルズ博士がその上に
身を跼(こご)めていた
一つの茂みの前まで来た。
私は思わずそこに足を停めた。
(堀辰雄「美しい村」より)
ー
画像は、
高原に咲く
シロバナノヘビイチゴです。
ところで引用したのは、
堀辰雄らしい
観察眼にあふれた箇所です。
「見るよりも先に、
彼等の発散する香りの方を
最初に知ってしまった」
というバラとの出会いの場面は、
花に恋をする人
ならではの感性ですね。
野苺の花を
バラの前奏曲と表現するのも、
堀ならではです。
堀辰雄にとっては
花も女性も、
大切に慈しみたい
存在だったのだと感じます。











