【堀辰雄「美しい村」⑩「美しい村」峠道】
その村の東北に
一つの峠があった。
その旧道には樅(もみ)や
山毛欅(ぶな)などが暗いほど
鬱蒼(うっそう)と茂っていた。
そうしてそれらの古い幹には
藤だの、山葡萄(やまぶどう)だの、
通草(あけび)だのの
蔓草(つるくさ)が
実にややこしい方法で
絡(から)まりながら
蔓延(まんえん)していた。
・・・中略・・・
――或る朝、
私は例の気まぐれから
峠まで登った帰り途(みち)、
その峠の上にある
小さな部落の子供等ら二人と
道づれになって
降りて来たことがあった。
その折のこと、
その子供たちは
いろいろな木に絡まっている、
もっと他の山葡萄だの、
通草だのをも
私に教えてくれたのだった。
子供たちは秋になると
それ等の実を採りに来るので、
それ等のある場所を
殆んど暗記していた。
それからまた小鳥の巣のある場所を
私に教えてくれたりした。
彼等は峠で力餅などを
売っている家の子供たちであった。
大きい方の子は十一二で、
小さい方の子は七つぐらいだった。
三人兄弟なのだが、
その真ん中の子が
村の小学校からまだ帰らぬので
峠の下まで迎えに
行くのだと言っていた。
子供たちは何を見つけたのか
急に私を離れて、
林のなかへ、
下生えを掻かき分けながら
駈けこんでいった。
そうして一本のやや大きな
灌木(かんぼく)の下に立ち止まると、
手を伸のばしてその枝から
赤い実を揉(も)ぎとっては
頬張(ほおば)っていた。
それは何の実だと訊(き)いたら、
「茱萸(ぐみ)だ」と
彼等は返事をした。
そうして彼等はときどき
私の方をふり向いて手招きをしたが、
私が下生えに邪魔をされて
なかなか其処まで行くことが
出来ずにいると、
大きい方の子がその実を
少しばかり私のために
持って来てくれた。
私は子供たちの真似をして
それを一つずつ
こわごわ口に入れてみた。
なんだか酸っぱかった。
私はしかしそれを
みんな我慢がまんをして
嚥(の)み込んだ。
そうして子供たちが
低い枝にあった実を
すっかり食べつくしてしまうと、
今度は高くて容易に
手の届きそうもない枝を
しきりに手(た)ぐろうとしては
失敗しているのを、
私は根気よく、
むしろ面白(おもしろ)いものでも
見ているように見入っていた。
(堀辰雄「美しい村」より)
ー
画像は、
離山の遊歩道です。
ところで「美しい村」を書いた
1933年の夏、
堀辰雄はつるや旅館に
滞在していましたので
東北の峠とは
旧中山道 碓氷峠のことです。
峠まで散歩の感覚で登れるほど、
体力が回復していた
ということが分かります。
ちなみにグミは
さくらんぼのような果実で、
お菓子のグミ
(ドイツ語でゴムの意味)
とは関係がありません。










