【堀辰雄「美しい村」⑥「美しい村」シャクナゲ】
或る日私が
そんな散歩から帰って来ると、
庭掃除をしていた
宿の爺(じい)やに呼び止められた。
「細木さんはいつ頃
こちらへお見えになります?」
「さあ、僕、知らないけれど……」
それは私が何日頃
この地を出発するかを聞いたのと
同じことであるのに
爺やは気づきようがなかったのだ。
「去年お帰りになるとき」
と爺やは思い出したように言った。
「庭へ羊歯(しだ)を
植えて置くようにと
言われたんですが、
何処へ植えろと
おっしゃったんだか、
すっかり忘れて
しまいましたもんで……」
「羊歯をね」
私は鸚鵡(おうむ)がえしに言った。
それから私は例の白い柵に
取り囲まれたヴィラを
頭に浮べながら、
「あの白い柵はいつ出来たの?」
と訊(き)いた。
「あれですか……あれは一昨年でした」
「一昨年ね……」
私はそれっきり黙っていた。
爺やのいじくっている
植木の一つへ目をやりながら。
それからやっとそれに
白い花らしいものの咲いているのに
気がつきながら訊いた。
「それは何の花だい?」
「これはシャクナゲです」
「シャクナゲ?
ふうん、そう言えば、じいやさん、
このへんの野薔薇(のばら)は
いつごろ咲くの?」
「今月の末から、まあ、
来月の初めにかけてでしょうな」
「そうかい、まだ大ぶあるんだね。
――一体、どのへんが多いんだい?」
「さあ……あのレエノルズさんの病院の向うなんか……」
「ああ、じゃ、あそこかな、
あの絵葉書にあった奴やつは。……」
(堀辰雄「美しい村」より)
ー
画像は、
浅間山麓のシャクナゲです。
堀辰雄は生粋の
江戸っ子ですが
この会話を読み、
28歳だった1933年の夏まで
シャクナゲを見たことが
なかったのだと驚きました。
軽井沢では
あちらこちらの
民家の庭木になっていますが、
それは標高が高く冷涼で
育てやすいからなのでしょう。
また別荘地に多く見られるシダも、
勝手に生えたものだけではなく
わざと植えていたのだと
分かりました。
雑草を防ぐ
被覆(ひふく)植物
いわゆるグラウンドカバ ープランツ
の代わりだったのかもしれません。
ちなみにここに登場する
「細木さん」は片山廣子が、
医師のレイノルズさんは
ニール・ゴードン・マンロー医師が
モデルと考えられます。










