【堀辰雄「菜穂子 楡の家 第二部」⑪三角関係】
お前はしかし押し黙って
暖炉の火に向った儘(まま)、
その顔に火かげのゆらめきとも、
又一種の表情とも分かちがたいものを
浮べながら、相
変らず自分の前を
見据えているきりだった。
その沈黙のうちに、
いま私が少し許(ばか)り
上ずったような声で云った言葉が
いつまでも空虚に
響いているような気がして、
急に胸が
しめつけられるようになった。
私はお前のいま考えていることを
何んとでもして知りたくなって、
そんな事を
訊(き)くつもりもなしに訊いた。
「お前は森さんのことを
どうお考えなの?」
「私? ……」
お前は脣くちびるを噛んだまま、
しばらくは何んとも
云い出さなかった。
「……そうね、お母様の前ですけれど、
私はああいう御方は
敬遠して置きたいわ。
それはお書きになるものは
面白いと思って読むけれども、
あの御方とお附き合いしたいとは
思いませんでしたわ。
なんでも御自分のなさりたいと
思うことをしていいと
思っているような
天才なんていうものは、
私は少しも自分の側(そば)に
もちたいとは思っていませんわ。……」
お前のそういう一語一語が
私の胸を異様に打った。
私はもう為様(しよう)がない
といった風に再び目を閉じたまま、
いまこそ私との不和が
お前から奪ったものを
はっきりと知った。
それは母としての私ではない、
断じてそうでない、
それは人生の最も崇高なものに対する
女らしい信従なのである。
母としての私は
再びお前に戻されても、
そういう人生への信従は
もう容易には
返されないのではなかろうか?……
もう夜もだいぶ更けたらしく、
小屋の中まで
かなり冷え込んできていた。
さきに寝かせてあった爺やが
もう一寝入りしてから、
ふと目を覚ましたようで、
台所部屋の方から
年よりらしい咳払いのするのが
聞え出した。
私達はそれに気づくと、
もうどちらからともなく
暖炉に薪を加えるのを止めていたが、
だんだん衰え出した火力が
私達の身体を知しらず識しらず
互に近よらせ出していた。
心と心とはいつか
自分自分の奥深くに
引き込ませてしまいながら……
(堀辰雄「菜穂子 楡の家 第二部」より)
ー
画像は、
軽井沢の秋の森です。
ところで
引用した箇所を読むと、
菜穂子も本心では
作家の森さんに
惹かれていたことが分かります。
その気持ちを、
自分自身の中で
意図的に捻り潰そうとしています。
そしてそのことを、
絶対に母には
気取られまいとしているーー
そんな複雑な女心が、
垣間見えます。
結局この母娘は2人とも
森さんに友情以上の想いがあったため、
その死に強い衝撃を受けた
ということですね。
母はその気持ちに蓋をし、
一方娘は
自分の気持ちに
けりをつけるため
ある行動に出ます。











