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堀辰雄「美しい村」⑤「美しい村」高原の力

2026.07.18

【堀辰雄「美しい村」⑤「美しい村」高原の力】

そんな風に思い出に導かれるままに、
村をそんな遠くの方まで
知らず識(し)らず
歩いて来てしまった私は、
今更のように
自分も健康になったものだなあ、
と思った。

私はそういう長い散歩によって
一層生き生きした呼吸をしている
自分自身を見出した。

それにこの土地に滞在してから
まだ一週間か
そこいらにしかならないけれど、
この高原の初夏の気候が
早くも私の肉体の上にも
精神の上にも
或る影響を与え出していることは
否めなかった。

夏はもう何処にでも
見つけられるが、
それでいてまだ何処という
的(あて)もないでいる
と言ったような自然の中を、
こうしてさ迷いながら、
あちこちの灌木の枝には
注意さえすれば
無数の莟つぼみが認められ、
それ等はやがて咲さき出すだろうが、
しかしそれ等は
真夏の季節(シイズン)の
来ない前に
散ってしまうような種類の
花ばかりなので、
それ等の咲き揃(そろ)うのを
楽しむのは
私一人ひとりだけであろうと言う
想像なんかをしていると、
それはこんな淋(さび)しい
田舎暮しのような高価な犠牲を
払はらうだけの値(あたい)は
十分にあると言っていいほどな、
人知れぬ悦楽のように
思われてくるのだった。

そうして私はいつしか
「田園交響曲」の第一楽章が
人々に与える快い感動に似たもので
心を一ぱいにさせていた。

そうして都会にいた頃の私は
あんまり自分のぼんやりした不幸を
誇張し過ぎて
考えていたのではないかと
疑い出したほどだった。

こんなことなら何もあんなにまで
苦しまなくともよかったのだと
私は思いもした。

そうして最近私を苦しめていた
恋愛事件をそっくりそのままに
書いてみたら、
その苦しみそのものにも
気に入るだろうし、
私にはまだよく解らずにいる
相手の気持もいくらか
明瞭(はっきり)しはしないか
と思って、
却かえってそういう私自身の不幸を
あてにして仕事をしに来た私は、
ために困惑したほどであった。

私はてんでもうそんなものを
取り上げてみようという
気持すらなくなってしまったのだ。

で、私は仕事の方は
そのまま打棄(うっちゃ)らかして、
毎日のように散歩ばかりしていた。

そうして私は私の散歩区域を
日毎ひごとに拡げて行った。

(堀辰雄「美しい村」より)

画像は、
湯川ふるさと公園です。

引用した箇所は、
軽井沢という
高原の持つ浄化の力を
書いたもの。

堀辰雄はこの美しい村で、
心身共に回復してゆくのです。

撮影日20260505
投稿日20260718

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