【堀辰雄「美しい村」③「美しい村」思い出】
……この数年間というもの、
この高原、
この私の少年時の
幸福な思い出と言えば
その殆んど全部が
此処(ここ)に結びつけられて
いるような高原から、
私を引き離していた
私の孤独な病院生活、
その間に起ったさまざまな出来事、
忘れがたい人々との
心にもない別離、
その間の私の完全な無為。
……そして、その長い間
放擲(ほうてき)していた
私の仕事を再び取り上げるために、
一人きりにはなりたいし、
そうかと言って
あんまり知らない
田舎へなぞ行ったら
淋しくてしようがあるまいから
と言った、
例の私の不決断な性分から、
この土地ならそのすべてのものが
私にさまざまな思い出を
語ってくれるだろうし、
そして今時分ならまだ
誰にも知った人には
会わないだろうしと思って、
こんな季節はずれの
六月の月を選んで、
この高原へわざわざ私は
やって来たのであった。
が、数日前に
この土地へ到着してから
私の見聞きする、
あたかも私のそういう長い不在を
具象するような、
この高原に於おける
さまざまな思いがけない変化、
それにつけても今更のように
蘇って来る、
この土地ではじめて
知り合いになった或る女友達との
最近の悲しい別離。……
そんな物思いに耽(ふけ)りながら、
私はぼんやり煙草を吹かしたまま、
ほとんど私の真正面の丘の上に
聳(そび)えている、
西洋人が「巨人の椅子」という
綽名(あだな)をつけているところの
大きな岩、
それだけが
あらゆる風化作用から逃れて
昔からそっくりそのままに
残っているかに見える、
どっしりと落着いた岩を、
いつまでも見まもっていた。
私はやがて再び枯葉を
ガサガサと音させながら、
山径を村の方へと下りて行った。
(堀辰雄「美しい村」より)
ー
画像は町道三度山線です。
ところで今回引用した
「美しい村」は、
1933年(昭和8年)10月に発表。
堀は同年6〜9月、
軽井沢のつるや旅館に
滞在しています。
室生犀星に連れられて
堀が初めて軽井沢に来たのは、
18歳の時の1923年。
その間に
関東大震災による母の死や
師であった芥川龍之介の自死など、
様々なことがありました。
それらを苦しみながら
乗り越えてきたことを、
堀はここで回想しています。
「この土地ではじめて
知り合いになった
或る女友達との
最近の悲しい別離」とは、
片山廣子の娘、
総子(そうこ)の
ことと思われます。










