MENU

お知らせ

News

堀辰雄「エトランジェ」昭和初期の軽井沢

2026.07.13

【堀辰雄「エトランジェ」昭和初期の軽井沢】

七月二十三日
 夕方だのに汽車は
大へん混んでゐた。

大部分は輕井澤へ
行く人たちらしい。

私の前には「天國新聞」といふのを
束にしてかかへてゐる
牧師さんがひとり。

向隣りの席には、
洋裝をした
十九ぐらゐのお孃さんと、
その連れらしい
ゴルフ服を着た
中年の紳士の二人づれ。

その紳士はそのお孃さんの
叔父さんぐらゐの年輩だが、
さうぢやないらしい。

ほんの知合と云つたやうな
樣子である。

・・・中略・・・

紳士、
「去年の夏は何處(どこ)で
お暮らしになりましたか?」

お孃さん、
「瑞西(スイス)のチロルで――」

なかなか味をやるぞ。

しかしお孃さんは
輕井澤は始めてだと見えて、
今度は紳士に向つて
輕井澤のことを
いろいろ質問してゐる。

輕井澤のことなら
俺に聞いて呉れりやいいのに。

「私の別莊など
人力車も這入らないくらゐですよ……
(紳士がお孃さんの
質問に答へてゐる)……
子供たちは自轉車で往復します……
私もずゐぶん練習したですが、
どうもうまく乘れんですな……
もう年が年ですからな……
うちの百合子などの方が
私よりずつとうまいですよ……
あなたは自轉車はどうです?」

「自轉車はまだ
乘つたことがありませんの……
けれど、オートバイなら少し……」

「ほほう!」

「でも、こちらで乘りましたら
皆さんに笑はれましたわ。」

「しかし輕井澤ぢや
ようござんす。
婦人がみんな馬や
自轉車に乘りますからな……」

 なかなか愉快なことを言ふ
お孃さんである。

「あちらで山登りでもなさいましたか?」
 紳士が質問する。

「ええ、ユングフラウへ一度……」

「ユングフラウ?
……妙義山があれによく似てゐると
西洋人が言ひますがね……
晝間だとこのへんから
丁度見えるんですが……」

 あいにくもう日が暮れてゐた。
碓氷峠にかかつた。
アプト式になる。

がたん、がたん、がたんと
車體が無氣味に搖れる。

「だいぶ搖れますな」

「ええ、
でもこれには慣れてゐますの……
シベリア鐡道が
丁度こんなでしたから。」

 夜の九時ごろ
輕井澤驛に着く。

連れの紳士が
そのお孃さんの
黒いトランクを下してやつてゐる。

私はそれに M. T. A. といふ
頭文字のついてゐるのを
ちらりと見る。

(堀辰雄「エトランジェ」より)

2026年7月13日、
画像は群馬県安中市にかかる
「めがね橋」(重文)です。

高さ31m長さ91m、
国内最大の
煉瓦づくりアーチ橋です。

1892年(明治25年)に完成し、
軽井沢に向かう
アプト式鉄道を支えてきました。

この鉄道に乗って、
宣教師や外交官ら
多くの外国人と日本人が
軽井沢にやって来ました。

ところで堀辰雄が
「エトランジェ」を
発表したのが、
1932年(昭和7年)10月。

この年も堀は、
旧軽井沢のつるや旅館で
夏を過ごしました。

前の月には、
思春期の思い出である
内房地域の竹岡村
(現:千葉県富津市)
で体験した淡い恋と
関東大震災による
母の死をテーマにした
「麦藁帽子」を発表しています。

つまりエトランジェは
芥川龍之介の死と
母の死についての
作品を書き終え、
気持ちに整理がついてきた頃の
作品だということです。

自分自身も結核から立ち直り、
心が前向きに
なっているのが
伝わってきます。

ちなみにエトランジェに登場する
このお嬢さんについて、
堀は
最近帰朝したベルギイ公使の
お孃さんかもしれないと
主人公らに言わせています。

撮影日20260426

#軽井沢 #karuizawa #長野県 #堀辰雄 #めがね橋

Pickup Site

ピックアップ