【芥川龍之介「或阿呆の一生」②恐れ】
四十 問答
なぜお前は現代の
社会制度を攻撃するか?
資本主義の生んだ悪を
見てゐるから。
悪を?
おれはお前は善悪の差を
認めてゐないと思つてゐた。
ではお前の生活は?
――彼はかう天使と問答した。
尤(もつと)も
誰にも恥づる所のない
シルクハツトをかぶつた天使と。……
四十一 病
彼は不眠症に襲はれ出した。
のみならず体力も衰へはじめた。
何人かの医者は彼の病に
それぞれ二三の診断を下した。
――胃酸過多、
胃アトニイ、
乾性肋膜炎(ろくまくえん)、
神経衰弱、
慢性結膜炎、
脳疲労、……
しかし彼は彼自身彼の病源を
承知してゐた。
それは彼自身を恥ぢると共に
彼等を恐れる心もちだつた。
彼等を、
――彼の軽蔑してゐた社会を!
或雪曇りに曇つた午後、
彼は或カツフエの隅に
火のついた葉巻を
啣(くは)へたまま、
向うの蓄音機から
流れて来る音楽に
耳を傾けてゐた。
それは彼の心もちに
妙にしみ渡る音楽だつた。
彼はその音楽の
了(をは)るのを待ち、
蓄音機の前へ歩み寄つて
レコオドの貼り札を
検(しらべ)ることにした。
Magic Flute――Mozart
彼は咄嗟とつさに了解した。
十戒を破つたモツツアルトは
やはり苦しんだのに違ひなかつた。
しかしよもや彼のやうに、
……彼は頭を垂れたまま、
静かに彼の卓子(テエブル)へ
帰つて行つた。
(芥川龍之介「或阿呆の一生」より)
ー
7月8日午前8時、
気温19.1℃、晴れ。
画像は、
千ヶ滝 せせらぎの道の森です。
ところで『或阿呆の一生』は、
芥川龍之介の自殺後に発見された
遺稿です。
そして今回取り上げたのは、
筆者が特に気になった部分です。
芥川は
(『闇中問答』にも登場する
堕天使と思われる)
「シルクハットを被った天使」
に対し、
「現代の社会制度を攻撃する」
理由を述べています。
事実
芥川は
1924年(大正13年)、
日本の帝国主義を痛烈に批判する
『桃太郎』という作品を
発表しています。
これにより
治安維持法が制定された
1925年以降、
芥川に対し
様々な圧力が
かけられたのではないかと
筆者は想像します。
そんな中、
芥川にとって
1番の恐怖は何だったでしょう。
それは策謀により
自らの名誉を貶められ
社会的に抹殺され、
妻子を路頭に迷わせる
ことだったのでは
ないでしょうか。
というのも
芥川が1926年12月に書いた
『或社会主義者』や
遺作の
『或旧友へ送る手紙』からも、
そうした「恐れ」を
見てとることができるからです。
『或阿呆の一生』でも
「彼自身を恥ぢると共に
彼等を恐れる心もち」が
「病源」だと述べていますし、
「掟破り」により
制裁を受けたとされる
モーツァルトまで
引き合いに出しています。
つまり芥川の自死は、
社会的に抹殺される前に
名誉を保ったまま死ぬためーー
だったのではないかと
筆者は推測しているのです。










