【堀辰雄「恢復期」④軽井沢の小径】
七月も末になつた或る朝、
その「羊齒山莊」に突然、
彼は、
西洋人の好んで着るやうな
派手な柄の
スウエタアかなんぞ着込んで、
妙にはしやいだ姿をあらはした。
手には籐のステツキを
持つてゐるきりで、
何処か散歩からでも
帰つてきたやうな恰好であつた。
――雜草が生ひかぶさるやうに
なつてゐる小径の両側には、
とりわけ羊歯(しだ)が
見事に生長してゐたが、
それが彼にはあたかも
可愛らしい手をひろげて
自分を歡迎してゐる
子供たちのやうに見えるらしく、
彼を微笑ませてゐた。……
・・・中略・・・
その羊歯の密生してゐる
叔母の別莊には、
去年までは
スコツトランド人らしい老夫婦が
いかにも品よささうに暮してゐた。
毎年の夏、
彼は散歩の折など
このへんの草深い小径が好きで
よくこの家の前を通つたものだが、
その度毎にいつもその老夫婦が
ヴエランダに出て黙つたまま、
お茶かなんか飮み合つてゐるのを
見かけたものだつた。
なんでも三十年近く
日本で宣教師を
してゐる人ださうだが、
そんな宣教師といふよりも
寧ろ哲學者かなんかのやうに見えた。
この高原のどんな小径にでも
勝手な名前をつけたがる
西洋人に倣つて、
彼もこのへんの小徑を自分勝手に Philosophen Weg
(フイロゾフエン ウエグ ※哲学者の道)
と呼んでゐたくらゐだつたのに。
……あの老夫婦もとうとう
彼等の任期を了(お)へて
故国にでも帰つたのかしら。
(堀辰雄「恢復期(かいふくき)」より)
ー
7月1日午前8時、
気温19.2℃、曇り。
画像は、
軽井沢野鳥の森です。
シダの生い茂り
小鳥がさえずる、
美しい森です。
ところで
「恢復期」の主人公の「彼」は
富士見高原療養所で
危機に陥り、
4週間の絶対安静を
強いられます。
その後
徐々に持ち直し、
夏には軽井沢に
「戻ってくる」のです。
実際
堀辰雄も
1931年4月から3ヶ月にわたり
富士見高原療養所で
転地療養し、
8月から10月にかけて
軽井沢に滞在して
「恢復期」を書き上げました。
そしてこの小説の中で、
堀は様々な伏線を
張っているのです。
順に並べましょう。
①東京から遠回りをして
諏訪湖まで行き、
老人と会った。
②老人が祈ってくれた。
③明け方の諏訪湖が
「聖母の青衣」のような色に見えた。
④富士見のサナトリウムから、
諏訪湖を見ようとした。
⑤詩篇の言葉が口癖になった。
⑥滞在する叔母の家には、
前年まで宣教師夫婦が
住んでいた。
そして次回は、
いよいよラストシーンを
ご紹介します。











