【芥川龍之介と堀辰雄「聖家族」】
河野扁理(へんり)には、
細木(さいき)夫人の発見したやうに、
どこかに九鬼を
裏がへしにしたといふ風がある。
容貌の点から言ふと
彼にはあまり九鬼に
似たところがない。
むしろ対蹠(たいしょ)的と言つて
いい位なものだ。
だが、
その對蹠がかへつて
或る人々には彼等の
精神的類似を目立たせるのだ。
九鬼はこの少年を
非常に好きだつたらしい。
それがこの少年をして
彼の弱点を速かに
理解させたのであらう。
九鬼は自分の気弱さを
世間に見せまいとして
それを独特な皮肉でなければ
現はすまいとした人だつた。
九鬼はそれになかば
成功したと言つていい。
だが、彼自身の心の中に
隠すことが出来れば出来るほど、
その気弱さは彼には
ますます堪へ難いものに
なつて行つた。
扁理はさういふ不幸を
目の前に見てゐた。
そして九鬼と同じやうな
気弱さを持つてゐた扁理は、
そこで彼とは反対に、
さういふ気弱さを
出来るだけ自分の表面に
持ち出さうとしてゐた。
彼がそれにどれだけ成功するかは、
これからの問題だが。――
九鬼の突然の死は、
勿論、この青年の心を
めちやくちやにさせた。
しかし、九鬼の不自然な死をも
彼には極めて自然に
思はせるやうな殘酷な方法で。
(堀辰雄「聖家族」より)
ー
6月21日午前8時、
気温16.0℃、曇り。
濃霧のため旧中山道
碓氷峠への赤バスは運休です。
画像は
ショー記念礼拝堂近くの
矢ヶ崎川。
1904年生まれの堀辰雄は
1923年(大正12年)8月
19歳のとき、
15歳年上の
室生犀星に連れられて
軽井沢を訪れます。
矢ヶ崎川近くの
旧軽井沢つるや旅館に泊まり、
以後毎年のように
軽井沢を訪れます。
1924年の夏には
12歳年上の
芥川龍之介が来軽し、
つるや旅館に一ヶ月滞在。
そこに室生犀星や
堀辰雄、
26歳年上で
歌人・アイルランド文学者の
片山広子も集まります。
片山広子は
芥川龍之介の「或阿呆の一生」で
「才力の上にも格闘できる女性」
と書かれた才女で、
芥川の心の恋人だった
とも言われています。
しかしその3年後、
芥川龍之介の身に
大きな不幸が訪れます。
1927年(昭和2年)1月、
義兄が放火と保険金詐欺の
嫌疑をかけられ
鉄道自殺したのです。
義兄の借金や
その家族を支える責務が
降りかかった芥川は、
1927年7月
睡眠薬で服毒自殺しました。
芥川龍之介を
師と仰いでいた堀辰雄は、
大きな衝撃を受けました。
この当時東大文学部国文科の
3年生だった堀辰雄は、
芥川の甥の
葛巻 義敏(くずまき よしとし)と共に
「芥川龍之介全集」の
編纂に従事。
心身共に疲れ切った堀は
一時
肋膜炎で死の境を彷徨いますが、
その後の卒業論文で
「芥川龍之介論」を
書き上げました。
今回引用した
「聖家族」は
そんな堀辰雄が
1930年に発表したもので、
▼九鬼のモデルは芥川龍之介
▼細木夫人と娘絹子のモデルは
片山広子と娘の聡子、
▼河野扁理のモデルは
堀辰雄自身とされています。
事実堀は、
「私はこの書を
芥川龍之介先生の
霊前にささげたいと思ふ」
という献辞をつけています。
芥川龍之介の
心のひだと苦しみが、
堀の筆から
ひしひしと伝わってくる作品です。












