【軽井沢ショー記念礼拝堂と堀辰雄】
今からざつと三四十年前のこと、
難工事の末、
こんな山の中にも
やつと鐡道が
通ずるやうになつてから、
間もなく一人の
外人牧師が
偶然ここにやつて來て、
この山麓が自分の故郷の
霧の多い高原に
酷似してゐるのを發見し、
ここに掘立小屋の
やうなものを建てて
一夏を過ごしたことから
筆を起すつもりでゐますが、
いまではこの村に
その牧師の名前をもつた
小さな通りまで
出來てゐる位です。
ちやうど村の西の入口から
斜めに入つて、
本通りに對して
ゆるく抛物線を描きながら、
再び村の東の入口で
それと合してゐる
「ショオ通り」といふのが
それでありますが、
何故その裏通りに
特にその名前がつけられてゐるのか、
誰にきいても分かりません。
ただ村の老人たちの
いまでもよく覺えてゐるのは、
その裏通りに沿うて
いま大きなテニス・コオトの
出來てゐるところは、
なんでもその牧師が
一人で開墾して、
その村ではじめて
萵苣(ちしゃ、レタスのこと)や
キャベツをつくつた
畑の跡だといふことです。
(堀辰雄「匈奴の森など」より)
ー
6月7日午前8時、
気温は14.6℃、曇り。
画像は、
日本聖公会
軽井沢ショー記念館礼拝堂です。
堀辰雄の記述によると、
ショーは
「霧の多い高原」に
郷愁を感じたようです。
軽井沢の平地はこの当時、
もっと木がまばらで
草原が広がっていたようです。
故郷の風景に似ていたのは、
霧に包まれた
林と野原だったのかもしれません。











