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追分の分去れと立原道造

2026.06.15

【追分宿の分去れと立原道造】

村はづれの歌 立原道造

咲いてゐるのはみやこぐさと
指に摘まんで
光にすかして
教へてくれた
右は越後へ行く北の道
左は木曾へ行く中仙道
私たちはきれいな雨あがりの夕方に
ぼんやり空を眺めて佇んでゐた
さうして夕やけを背にまつすぐと行けば
私のみすぼらしい故里の町
馬頭観世音の叢に
私たちは生れてはじめて
言葉をなくして立つていた

(「立原道造全集」より)

室生犀星に師事し
堀辰雄に兄事した
詩人で建築家の立原道造は、
東大在学中の夏に
追分に滞在し
はかない恋を体験しました。

その恋が破れたのち、
立原は所属する
建築事務所の
事務員の女性と恋愛。

その女性による
献身的な看護も虚しく、
結核によって
24歳の若さで夭折しました。

立原を愛し
その才能に期待していた
文士たちは、
深い悲しみに
突き落とされました。

6月15日午前8時、
気温は12.3℃、霧。

濃霧のため
旧中山道碓氷峠への赤バスは
運休です。

ところで画像は、
追分宿の西の分去(わかさ)れ。

立原が頻繁に歩いた
分去れの石灯籠の背後、
子育て地蔵の台石には
追分節の一節が刻まれています。

「さらしなは右
みよし野は左にて
月と花とを追分の宿」

撮影日20260531

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