【追分宿の分去れと立原道造】
村はづれの歌 立原道造
咲いてゐるのはみやこぐさと
指に摘まんで
光にすかして
教へてくれた
右は越後へ行く北の道
左は木曾へ行く中仙道
私たちはきれいな雨あがりの夕方に
ぼんやり空を眺めて佇んでゐた
さうして夕やけを背にまつすぐと行けば
私のみすぼらしい故里の町
馬頭観世音の叢に
私たちは生れてはじめて
言葉をなくして立つていた
(「立原道造全集」より)
―
室生犀星に師事し
堀辰雄に兄事した
詩人で建築家の立原道造は、
東大在学中の夏に
追分に滞在し
はかない恋を体験しました。
その恋が破れたのち、
立原は所属する
建築事務所の
事務員の女性と恋愛。
その女性による
献身的な看護も虚しく、
結核によって
24歳の若さで夭折しました。
立原を愛し
その才能に期待していた
文士たちは、
深い悲しみに
突き落とされました。
ー
6月15日午前8時、
気温は12.3℃、霧。
濃霧のため
旧中山道碓氷峠への赤バスは
運休です。
ところで画像は、
追分宿の西の分去(わかさ)れ。
立原が頻繁に歩いた
分去れの石灯籠の背後、
子育て地蔵の台石には
追分節の一節が刻まれています。
「さらしなは右
みよし野は左にて
月と花とを追分の宿」










