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室生犀星「碓氷山上之月」⑤万平ホテル

2026.10.17

【室生犀星「碓氷山上之月」⑤万平ホテル】

 マンペイホテルヘ
茶をのみに行つた。

暗い木の茂みが
橋の上をつつんでゐるところで、
予は突然右の人差指が
この冬ぢゆう痺(しび)れてゐて、
溫かくなつて癒(なお)つてゐたが
二三日中に急にそのしびれが
冷氣のために來てゐるのに氣づいた。

 「これが君、またしびれ出して……」

 さう言つて人差指をさし出すと、
澄江堂(ちょうこうどう)は
わつと言つて吃驚(びっく)りした。

 「ああびつくりした。こりや――」

 葉のこまかい枝が夜ぞらに
恩地(おんち)君の版画のやうに
浮き出してゐる。

「怕(こわ)かつた――」と言つて
吃驚したのぢやないと言つた。

 散步からかへつてから
松村みね子さんが
室(へや)の前を通つて、
お寄りになる。

去年おあひをしてから
話をするやうになつてゐる。

それもいつも輕井澤だけである。

 あとでお菓子を
松村さんに持たせてやる。

 辰ちやん子歸京。

(五日、七十五度)

(室生犀星「碓氷山上之月」より)

⸻

画像は、
万平ホテルです。

万平ホテルの前身は、
江戸時代中期の
1764年(明和元年)頃
現在の軽井沢郵便局の辺りに
建てられた旅籠「亀屋」です。

明治に入り
軽井沢宿は廃れましたが
1886年(明治19年)、
聖公会宣教師
アレキサンダー・クロフト・ショーらが
亀屋を訪れたことがきっかけとなり
亀屋の主人佐藤万平氏は
1894年(明治27年)に
亀屋ホテルをオープン。

1902年(明治35年)には
ホテルを旧軽井沢銀座から
桜の沢に移転し、
名称を「万平ホテル」としました。

その万平ホテルに
犀星と芥川が
夜お茶を飲みに行ったというのが、
1924年(大正13年)
8月5日の出来事です。

犀星は自分の仕草に
芥川がびっくりする場面を
書いていますが、
芥川は歩きながら
考え事に没頭していたのでしょうか。

そのリアクションが
余りにも可笑しかったので、
わざと書いたのだと思います。

一方
芥川は「軽井沢日記」で
犀星が汽車で寝られなかった話や
噴水を見て小便を連想し
「腹か何か痛くなりさうだね」と
述べたことなどを書いていますし、
犀星と芥川は
互いに相手の
面白い言動を書き合っている。

作品が発表されたとき、
「あ、書かれた」と
苦笑いさせることを目的として
書いているとしか思えません。

まあ
それだけ仲が良い、
ということなのでしょう。

ちなみに
「恩地君」とは、
犀星の友人であった
版画家の恩地孝四郎です。

そして松村みね子さんは、
片山廣子のこと。

アイルランド文学の
翻訳をするとき、
彼女は「松村みね子」の
筆名を使っていました。

芥川が考え込んでいたのは、
ひょっとすると
片山廣子のことだったかもしれないと
筆者は想像します。

ちなみに華氏七十五度は、
摂氏約23.9℃です。

撮影日20260831
投稿日20261017

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