【片山廣子「翡翠」⑥霧の森】
月見草ひとり覺めたる高原の
霧にまかれて迷ひぬるかな
朝霧の底に夢みる高き木に
うぐひす鳴けばわが心覺む
雲の影遠野をはしるまひる時
みねに立ちつつ我がいひしこと
(片山廣子「翡翠(かわせみ)
輕井澤にてよみける歌十四首」より)
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画像は、
朝霧に包まれた
町道三度山線の雑木林です。
ところで片山廣子の歌は、
まるで絵画のようだと
思わされます。
一首目は、
月見草が白く浮き上がる夕暮れ。
もしくは月見草が
ピンク色になる、
夜明け前かもしれません。
そんな薄暗い高原に霧が立ち込め
その中を彷徨(さまよ)っている
という歌ですが、
まるで花の精かエルフの女王が
森にひとり
たたずんでいるかのような
印象を受けます。
この神秘的な瞬間を、
短い言葉で表現する
片山の才能には
脱帽させられます。
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2首目は、
しっとりとした霧に包まれた
森の朝。
黒々とした幹に
霧の微粒子が流れ
森全体がまどろみの中にあるとき、
突然
美しい鶯の声が響きわたった。
そんな瞬間を
とらえたものでしょう。
胸に染み入る
鶯の声。
静寂の森との対比が、
鮮明です。
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3首目は
高台に立ち、
軽井沢から遥かに続く
原野(はらの)を
見下ろしている情景です。
空に近い高原の雲は、
速く流れているように見えます。
雲の影が
軽井沢の草原や畑地、森林を
次々と横切って行く。
その情景を見ながら、
自分の越し方を振り返り
様々な人との会話を
思い出している
というシーンだと思います。
この雲の影のように、
人も時代も
移り変わって行く。
月日(つきひ)は
百代(はくたい)の
過客(かかく)にして、
という言葉が
片山の脳裏に
浮かんだかもしれません。












