【片山廣子「翡翠」①越路の山】
輕井澤にてよみける歌十四首
空ちかき越路の山のみねの雪
夕日に遠く見ればさびしき
(片山廣子「翡翠(かわせみ)」より)
ー
画像は、
追分から望む
冠雪の浅間山です。
ところでこれまで
堀辰雄の「物語の女」や
「菜穂子 楡の家 第二部」を
取り上げてきましたが、
三村夫人のモデルとなったのが
歌人でアイルランド文学翻訳家の
片山廣子です。
歌人で国文学者の
佐佐木 信綱に師事した才女で、
今日引用したのは
彼女の第一最歌集
「翡翠(かわせみ)」。
1916年(大正5年)に
刊行されたもので、
そこに
「輕井澤にてよみける歌十四首」
が収録されています。
「空ちかき…」は、
その冒頭の歌です。
実はこの歌から
芥川龍之介は片山廣子のことを
「越し人」と呼び、
その激しい恋心を
旋頭歌(せどうか)に託したと
されているのです。
この歌集が刊行されたとき
片山廣子38歳、
芥川龍之介24歳。
まだ恋愛関係にはなっていませんが、
芥川は
この歌集の書評を書いています。
運命の歯車は、
その時点で大きく回り始めた
ということでしょう。
ー
ちなみにこの歌の
「越路(こしじ)の山」とは、
どの山を指しているのか。
実は定説がありません。
しかし軽井沢から
夕日と共に見えて、
かつ「空ちかき」というのだから
見上げるような山であること。
そして避暑客が滞在している
初夏もしくは秋に
冠雪する山なると
浅間山以外には
考えられないと筆者は思います。
新潟方面を指す
「越路」という言葉に
首を傾げる人も多いようですが、
1916年時点で
東京から列車で新潟に行くには
高崎ー軽井沢ー長野ー直江津の
信越本線経由しかありませんでした。
高崎から長岡に向かう
上越線が全線開通したのは、
「国境の長いトンネル」である
清水トンネルが完成した
1931年(昭和6年)のことです。
すなわちそれまでの間、
軽井沢が「越路」そのものであった
ということなのです。










