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堀辰雄「菜穂子 楡の家 第二部」⑫結婚

2026.09.29

【堀辰雄「菜穂子 楡の家 第二部」⑫結婚】

 その夜は、
もう十二時を過ぎてから
各自の寝室に引き上げた後も、
私はどうにも目が冴えて、
殆どまんじりとも出来なかった。

私は隣りのお前の部屋でも
夜どおし寝台のきしるのを
耳にしていた。

それでも明け方、
漸(ようや)く窓のあたりが
白んでくるのを認めると、
何かほっとしたせいか、
私はついうとうとと睡(まどろ)んだ。

が、それからどの位立ったか
覚えていないが、
私は急に何者かが自分の傍らに
立ちはだかっているような気がして、
おもわず目を覚ました。

そこに髪をふりみだしながら
立っている真白な姿が、
だんだん寝巻のままの
お前に見え出した。

お前は私がやっと
お前を認めたことに気がつくと、
急におこったような切口上で
云い出した。

「……私にはお母様のことは
よく分かっているのよ。
でも、お母様には、
私のことがちっとも分からないの。

何ひとつだって
分かって下さらないのね。
……けれども、
これだけは事実として
お分かりになっておいて頂戴。

私、こちらへ来る前に
実はおば様にさっきのお話の
承諾をして来ました。……」

 夢とも現うつつともつかないような
空(うつ)ろな目ざしで
お前をじっと見つめている私の目を、
お前は何か切なげな目つきで
受けとめていた。

私はお前の云っている事が
よく分からないように、
そしてそれを一層よく聞こうと
するかのように、
殆ど無意識に寝台の上に
半ば身を起そうとした。

 しかし、
そのときはお前はもう
私の方をふりむきもしないで、
素早く扉のうしろに姿を消していた。

 下の台所ではさっきからもう
爺やたちが起きて
ごそごそと何やら物音を
立て出していた。

それが私にその儘(まま)起きて
お前のあとを追って行くことを
ためらわせた。

(堀辰雄「菜穂子 楡の家 第二部」より)

ー

画像は、
中山道追分宿と
沓掛(くつかか)宿の間にある
借宿(かりやど)の通りです。

引用したのは、
小説「菜穂子」の
最初のどんでん返しです。

感情的な面と理性的な面が
複雑に絡み合った菜穂子が、
見ず知らずの人との縁談を
了承するとは
誰も思っていなかったでしょう。

堀辰雄は
読者の想像を
裏切るようなストーリーを
展開することで、
同時代の女性たちに
「結婚とは何か。
何のために結婚するのか」
ということを
問いかけているのかもしれません。

堀自身は、
「大恋愛の末の結婚」が
当たり前と思っている人です。

昭和初期の女性たちは
堀作品や
「菜穂子」を読んで、
「『嫁』になるためではない結婚の在り方」
について
深く考えさせられたと思います。

撮影日20260316
投稿日20260929

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