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堀辰雄「物語の女」⑬見納め

2026.09.15

【堀辰雄「物語の女」⑬見納め】

そのうちに話がちょっと途絶えると、
あの方はひどくお疲れに
なっていられるような御様子だのに、
急に立ち上がられて、
もう一度去年見た村の
古い家並みが見てきたいと
仰しゃられるので、
私たちもそこまで
お伴ともをすることにした。

しかし丁度日ざかりで、
砂の白く乾いた道の上には
私たちの影すら
ほとんど落ちない位だった。

ところどころに馬糞(ばふん)が
光っていた。

そうしてその上には
いくつも小さな白い蝶が
むらがっていた。

やっと村にはいると、
私たちはときどき日を除よけるため
道ばたの農家の前に立ち止まって、
去年と同じように
蚕を飼っている家の
なかの様子を窺(うかが)ったり、
私たちの頭の上に
いまにも崩れて来そうな位に傾いた
古い軒の格子を見上げたり、
又、去年までは
まだ僅かに残っていた砂壁が
いまはもう跡方もなくなって、
其処がすっかり
唐黍畑(とうきびばたけ)に
なっているのを認めたりしながら、
何ということもなしに
目を見合わせたりした。

とうとう去年の村はずれまで来た。

浅間山は私たちのすぐ目の前に、
気味悪いくらい大きい感じで、
松林の上にくっきりと盛り上っていた。

それには何かそのときの
私の気もちに
妙にこたえてくるものがあった。

(堀辰雄「物語の女」より)

ー

画像は、
発地の庚申塔と浅間山です。

ところで「物語の女」は
「菜穂子」の冒頭
「楡の家」に収録されており
森於菟彦は芥川龍之介が、
三村夫人は片山廣子が
モデルとされています。

この場面は、
まるで「これが見納め」
であるかのように
書かれています。

「菜穂子」では
森於菟彦は北京で
1927年7月に
持病の悪化により病没
という設定になっているのですが、
モデルとなっている
芥川龍之介は
同年7月24日に
亡くなっているからです。

まるで死を決意した人物が、
最後のお別れに
来たかのような描写。

この場面からは、
芥川龍之介の弟子である
堀辰雄の慟哭(どうこく)が
伝わってきます。

撮影日20260519
投稿日20260915

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