【車窓からコブシを探した堀辰雄】
4月12日午前8時、
気温は7.4℃、晴れ。
画像は、
中山道追分宿駐車場のコブシです。
追分に住んだ堀辰雄も
コブシが好きだったようで、
「辛夷の花」という
小品があります。
馬酔木(あせび)咲く
春の奈良に行こうと
列車で木曽谷を
通っているときの話で、
車窓からコブシを探す場面が
描かれています。
抜粋します。
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■「辛夷の花」堀辰雄■
……
「むかうの山に
辛夷の花がさいてゐるとさ。
ちよつと見たいものだね。」
「あら、
あれをごらんにならなかつたの。」
妻はいかにも
うれしくつてしやうがないやうに
僕の顔を見つめた。
「あんなにいくつも咲いてゐたのに。……」
「嘘をいへ。」
こんどは僕が
いかにも不平さうな顔をした。
「わたしなんぞは、
いくら本を読んでゐたつて、
いま、どんな景色で、
どんな花がさいてゐるかぐらゐは
ちやんと知つてゐてよ。……」
「何、まぐれあたりに見えたのさ。
僕はずつと木曾川の方ばかり
見てゐたんだもの。川の方には……」
「ほら、あそこに一本。」
妻が急に僕をさへぎつて
山のはうを指した。
「どこに?」
僕はしかし其処には、
さう言はれてみて、
やつと何か白つぽいものを、
ちらりと認めたやうな
気がしただけだつた。
「いまのが辛夷の花かなあ?」
僕はうつけたやうに答へた。
「しやうのない方ねえ。」
妻はなんだかすつかり
得意さうだつた。
「いいわ。
また、すぐ見つけてあげるわ。」
が、もうその花さいた木々は
なかなか見あたらないらしかつた。
僕たちがさうやつて窓に顔を
一しよにくつつけて眺めてゐると、
目なかひの、
まだ枯れ枯れとした、
春あさい山を背景にして、
まだ、どこからともなく
雪のとばつちりのやうなものが
ちらちらと舞つてゐるのが
見えてゐた。
僕はもう観念して、
しばらくぢつと
目をあはせてゐた。
とうとうこの目で
見られなかつた。
雪国の春に
まつさきに咲くといふ
その辛夷の花が、
いま、どこぞの山の端に
くつきりと立つてゐる姿を、
ただ、
心のうちに浮べてみてゐた。
そのまつしろい花からは、
いましがたの雪が解けながら、
その花の雫のやうに
ぽたぽたと落ちてゐるに
ちがひなかつた。……
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