軽井沢の地理風土
涼しくも厳しい気候・風土でもあった軽井沢。 交通の要所として切り開かれ、次第に人を癒す力を持った町として 様々な人に愛されてきました。

軽井沢の風土と観光産業

テニスコート・ゴルフ場の適地

軽井沢はその気候・立地から内外人の避暑地として発展してきたが、テニス・ゴルフ・スケートなどのスポーツ文化の発祥地としても有名である。

日本にテニスが導入されたのは明治11年(1878)に横浜であったが、軽井沢には、明治27年(1894)ごろ旧軽井沢のつるや旅館裏の別荘の庭前に蚕篭で囲ったテニスコートが造られた。これが軽井沢のテニスの始まりであった。
それ以降テニスコートは着々と増え、広い別荘地では個人でテニスコートが設けられた。
最盛期の昭和52年(1977)には別荘所有者を除いて500面近くのコートがあったこともあるのだ。
平成21年(2009)では、軽井沢には24ヶ所のテニスコートがある。

また、旧ゴルフ場と呼ばれる(現旧軽井沢ゴルフクラブ)が、大正8年(1919)にイギリスからゴルフ場の設計者を招いて造られた。
6万坪のキャンバスに9ホールのゴルフ場であったが、現在は12ホール。旧ゴルフ場は関東甲信地区では、箱根の仙石原ゴルフ場に次いで二番目に古いゴルフ場である。
その後、昭和5年(1930)、36万坪の土地に18ホールのゴルフ場が造られ、当時としては東洋一の規模を誇る新ゴルフ場と呼ばれる(現新軽井沢ゴルフクラブ)が建設され大いににぎわった。戦後、ゴルフ場は地蔵ケ原(南軽井沢)に造られた。この地蔵ケ原は湿地帯が多く、集落や耕地採草地の開発がなされていなかったからだ。昭和30年(1955)には、南軽井沢ゴルフ場、翌31年(1956)には、晴山ホテルゴルフ場(18ホール)が開設、昭和47年(1972)には、140万坪(462ha)の土地に72ホールのゴルフ場(現軽井沢72ゴルフ)が完成した。そして、昭和51年(1976)現在軽井沢のゴルフ場は、147ホールに達して、全国有数のゴルフ場王国になった。
なお軽井沢のゴルフ場利用者が多いのは、夏でも冷涼な高冷地気候で、プレイしやすい風土であるからだ。
また南軽井沢には飛行場があったが、戦後になっても定期的に航空機が就航していなかったので、ゴルフ場用地に転用された。
軽井沢高原の地形・地質をみると、浅間山から噴出した火山礫や火山灰が地表をおおい、さらに地下には軽石層が厚く推積している。そこで相当量の降水があっても地下に浸透する。したがって雨があがると、直ちにテニスなどのスポーツができる利点がある。
また火山灰は弾力があるので、陸上の競走などに好記録が出るといわれている。

スケート・製氷業

冬の寒さがきびしい軽井沢では、積雪が少ないためスキー(雪艇(せつてい))はあまり発達しなかった。しかし「氷造り」は明治末から盛んであった。
明治40年(1907)新軽井沢の青年有志が営林署から4000坪を借地して、軽井沢スケート場を造った。明治42年(1909)の夏新軽井沢の鍛冶屋が「下駄スケート」を製造し、子供たちが下駄スケートを楽しんだ。同年雨宮敬次郎邸内の池でフィギュアスケートが公開された。
現代軽井沢町には「風越公園スケート場」と「軽井沢風越公園アイスアリーナ」の二つのスケート場がある。
革製のスケート靴をはいた近代的な「スケーティング」は、日本人は「氷滑術」といって、上流階層のスポーツになっていた。
平成10年(1998)に長野冬季オリンピックが軽井沢で開催されるなど、軽井沢のスケート場は国際的にも広くその存在が知られている。

また関連して、軽井沢の極寒の気候を利用した地場産業に、天然氷の製造があった。大正時代には多くの製氷業者もあり、電力による製氷が普及するまで、天然氷の製造が盛んだった。
軽井沢で天然氷の生産が盛んになったのは、外国人別荘の冷蔵庫に使うため、天然氷を氷室(ひむろ)に貯蔵し、各別荘の冷蔵庫の大きさに合わせて切断した氷を定期的に配達したからだ。
旧軽井沢の町はずれに製氷に用いた池と氷室が残されている。ここの氷室は堀辰雄の『美しい村』の舞台になっている。

旧軽井沢の商店街

軽井沢町の地籍にあった中山道の軽井沢・沓掛・追分の三宿は「浅間根越の三宿」といって、江戸時代には旅人でにぎわった。特に軽井沢宿は旧碓氷峠の坂下集落(古代、峠を坂といったが、峠の麓にあった集落)であったことから三宿の中で最も繁栄していた。
しかし後に鉄道交通の発展によって浅間三宿などの宿駅交通は衰退していくことになる。
ところが、軽井沢宿は明治20年代から外国人、邦人による避暑地別荘の建設が進められ、その結果、旧軽井沢は避暑客を相手にした商店街となり、現在でも「旧軽」・「旧道」の愛称で呼ばれている。
旧軽井沢の商店街では、街路樹を除くと、江戸時代の宿場景観はほとんどが失われている。わずか、つるや旅館が伝統的旅籠に修景した建物を復元している。また高遠町出身の画家・書家であった中村不折が書いた看板が、不二家洋菓子店に掲げられていた。旧軽井沢の商店街の建物は、和洋折衷の建物が多い。また東京・横浜などからの夏季出張店も多く営業している。
夏の旧軽井沢は訪れる人で混雑するので、別荘族は混む昼間を避けて、夕方に買い物に出かけるという。旧軽井沢商店街の中央には明治44年(1911)に建てられた軽井沢郵便局があったが、建物は現在塩沢湖畔の軽井沢タリアセンに移築されて、跡地には外観を模した軽井沢観光会館が平成7年(1995)に建設された。
軽井沢の特産品に、軽井沢彫がある。明治41年(1908)から生産が始められ、避暑客を対象とした様式の家具である。桜の花と樹を主要デザインとした軽井沢彫は、外国人客にも好評である。国重要文化財に指定されている旧三笠ホテルのテーブルや椅子も、すべて軽井沢彫の木製品が使用されている。軽井沢彫の店舗と工房も旧軽井沢の町並を特色づけている。この軽井沢彫は日光彫の技法を導入してつくられている。
旧軽井沢の町並は一戸建ての建物が多いが「近藤長屋」(滅失)と呼ばれる長屋の店舗のみは異質である。この出張店の所有者は名古屋の豪商近藤友右衛門で、長屋を仕切って、店舗を出張店に貸している。このような事例は、他に例を見ない賃借法である。

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